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障害者は社会をやさしくする3.「障害者」という言葉は競争社会がつくった

障害者は社会をやさしくする 

3.障害者という言葉は社会がつくった

 

  

 も く じ

 

 1.はじめに

 2.あてがわれた価値基準が障害者排除を生む

 3.「障害者」という言葉は競争社会がつくった 

 4.差別と偏見が生まれるしくみ

 5.「弱肉強食」と「共生」の対立

 6.「共生」が差別と偏見をなくす

 7.「共生」の第一歩は「スローテンポ」から

 

 

   

3.「障害者」という言葉は競争社会がつくった

 

 「障害者」という言葉には問題が多い。漠然とした共通認識があって社会一般に使用されるが、これは特定の少数者に貼り付けるラベルのようなものである。多数派の了解の下に暗黙のうちに決められた。

 とにかく定義がはっきりしない。

「身体障害者」とは、身体機能に欠落があって生活する上で困難をきたす者と説明されるが、それでは矛盾だらけだ。

 義足の陸上選手マルクス・レーム選手は、健常者と障害者が一緒に競技する意義を訴えている。2014年のドイツ陸上選手権で健常者を破って優勝したが、記録は参考扱いにされ、以来公式競技から締め出されている。その理由は、義足の方が人間の足よりも高性能だというのである。

 近視や遠視は障害者ではない。眼鏡をかければ困らないからだという。レーム選手も義足を付ければ困ることない。多数派が自分たちの都合で障害者というラベルをつけて排除しているだけのことだ。

手術で胃を切除した人は、その後遺症に困っていても障害者ではなく、直腸を切除して人工肛門になった人は障害者となる。

 好意的にとらえるなら、社会は未だ発展途上で整備されない問題がたくさん残っている、今後徐々に改善されていく、ということもできる。

 

 「知的障害者」や「精神障害者」についてはさらに理屈に合わないことだらけだ。どちらもはっきりした定義がないだけでなく、当事者や家族を含めた社会的合意もない。

「知的障害者」には、その取り扱いに関する行政上の取り決めが多数存在するにも関わらず法的定義が存在しない。特定の専門職や専門機関を権威付けし、そこで判断されることになっている。

人間の知的機能についての知的とは、知識と知性が豊かなことをいう。知的障害とは、知識は問題にせず知性に障害があることをいう。知性とは、記憶力、計算能力、理解力、思考力、判断力、想像力、共感力、意欲、実行力などが優れていることをいう。しかし、そのおよそ全てが、早い遅いの差はあっても教育訓練によって発達するものであり、学習や経験の積み重ねによって備わってくるものである。ということは、知性とは個性の一つということができる。

 知性に劣る人を「知的障害者」というなら、国会答弁で「記憶にありません」とくり返す政治家は、記憶力に欠落のある「知的障害者」ということになり、厚労省や文科省の一部の役人たちは、理解力や共感力が決定的に欠ける「知的障害者」ということになる。どちらも健全な社会にとってはマイナスなので、「知的障害者」のラベルをきちんと貼って、社会に適応できるようみんなで常に見守って矯正しなければならないだろう。

現実の「知的障害者」とは、専門機関によって「知的障害者」と判定された人のことである。その判定基準は、知能検査の結果が基準とされる。知能検査とは、簡単な作業能力の検査であり、時間内にどれだけできたかで評価される。

それはまるで、パソコンの性能評価であり、記憶力と計算力、簡単な判断力しか評価していない。知能検査成績が悪くても、計算機やパソコンがどこにでもあるのだから、日常生活でも職場でも困ることはない。記憶力を失った若年性認知症患者たちは、メモ書きを頼りに記憶力をカバーしながら難なく暮らしている。彼らを障害者として社会から切り離す必要があるのだろうか。

知能検査を嫌がったり協力しない子もいるだろう。ひょっとしたら知能検査とは、文句を言わず指示に従うかを見るものなのかもしれない。

精神障害者についての取り決めはさらにひどい。

精神疾患の診断はひとえに医師が担っているが、精神医学の領域には長く対立があって、同じ患者でも医師によって診断がまるっきり異なってくる。そのような診断によって、人の人生が決められている。精神疾患の診断についての問題は、簡単には説明できないのでここでは省略する。

 

 まとめると「障害者」という言葉は、支援の対象をはっきりさせるためというより、多数派から外れた人間を排除するためつくられた。

効率優先社会では、流通の都合で農産物の大きさや形をそろえる必要がある。同じように、労働者も消費者も質がそろっているほうが都合がよい。規格から外れた者は、学校教育の段階から排除したい。政治家も役人も学者もジャーナリストも、規格品でそろえられれば欲の深い権力者にとってはありがたい。「障害者」という言葉は、そのためのラベルである。

 「知的障害者」も「精神障害者」も、大脳機能の異状ではなく、現実社会への適応能力が基準になる。その現実社会が異常な社会だから、正義感が強く素直で鋭い人は、適応できずに混乱してしまう。混乱する人は、異常な社会に迎合する権威者や医者によって、おかしな診断をつけられ「障害者」のラベルを貼られることになる。

 筆者は、シーベルトの陰謀について「月間むすぶ」に1年間連載してきた。シーベルトとは放射線の単位であり、福島原発事故後にわかに茶の間に登場するようになった。勝手な定義と勝手な基準で生まれた「シーベルト」という単位はペテンの単位であり、この単位で表される量はペテン量であることを暴き出した。

 「障害者」という言葉も重症度というランク付けも、同じようにおかしな社会の勝手な取り決めと勝手な基準で生まれたものだということができる。          

 

なお、「障害者」という言葉は差別用語であるという理由から、「社会的ハンディのある人」と呼んだり、「害」という漢字は「有害」や「害毒」のイメージを伴うので、意識的に「障碍者」や「障がい者」と表記したりする人もいる。「碍」はさまたげると訓読みし「障」と同様な意味を持つ。

 「障害者」は確かに差別用語だが、すでに広く一般に使われているので、この連載ではとりあえず「障害者」ということにしている。

 4に続く

 

Sまだまだ

2017.4.8第1稿

2017.5.10改定第2稿

 

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