『自己決定権という罠』 小松美彦 今野哲男 ☆☆☆★
現代書館 2020年12月 2600円+税
☆☆☆★
著者は、長年にわたり生命倫理の課題を追求してきた。大学というアカデミズムの世界にいながら、脳死臓器移植や安楽死、尊厳死に、一貫して反対を唱えている。
この本は、2004年に洋泉社新書から出版された『自己決定権は幻想である』の増補改訂版である。著者の土台となる考え方や最新の主張を知るには、最適であろうと思われ、目を通してみた。
特に脳死臓器移植に関しては、情報量が多く、よくまとまっている。実例が示されるところを読んでいると、身近な人にも自分自身にも起こりそうに感じ迫ってくる。
強烈な印象が残っている場面をいくつか紹介しよう。
安楽死を願っていた老人が、孫に「死んじゃだめ」と言われて、その意思を撤回したという話。
脳死判定の直後に呼吸チューブを外そうとすると、脳死者は手を出す。
脳死移植でドナーから臓器を取り出すときは、脳死者に筋弛緩剤を必ず投与する。脳死者が抵抗してのた打ち回るからである。最初の頃は、通常手術のように麻酔をかけていたが、今は筋弛緩剤だけになった。
4歳で脳死と診断され、それから16年後に母とともに取材を受けテレビに登場した。母が呼びかけると、その内容に応じて顔色や表情がはっきりと変化する。手を握ると、手が小刻みに震える。
無能児として誕生し生き延びた子が、明るい太陽が降り注ぐ方にむかって、はって移動した。
日本でも、1歳9ヶ月で脳死と診断され、3歳まで生きてきた子が、親とともに紹介されている。
意識不明とは、意識があるかないかが不明という意味であるが、暗黙のうちに意識のない状態をさすようになってしまった。実際には、意識があっても伝えられない事例が多々ある。そういう実例があっても隠されてしまい、ないことにされている。
著者は、そのように隠される都合の悪い実話を次々と紹介する。そして、情報が隠されたままで自己決定を迫るのが、脳死臓器移植の実態であると主張する。
さらに、「自己決定」という言葉を絶対視すれば、他人のアドバイスを聞かないようになる。だから、必要以上に「自己決定」を取り立てて美化することは、人と人とのコミュニケーションを阻む作用をする。
著者の主張は、理解でき大いに納得する。
「自己決定」や「自己決定権」は、医療の場では「インフォームド・コンセント」という言葉で表される。
1990年代、有名タレントたちが自分の癌を公表し、受けた癌手術が本当に良かったのか、などが議論となり話題となった。
患者が望む治療が受けられない、という医療の実態が問題視され、市民団体や患者団体などが、医療改革を訴えた。そこでは声高に「インフォームド・コンセントを守れ」と叫ばれた。
そんな時期に、私は、インフォームド・コンセントに潜む問題点に気付いてほしいと思い『インフォームド・コンセントは患者を救わない』を洋泉社から出版した。
きちんと説明された上で、治療するしないは本人が決める。これは当然のことだが、インフォームド・コンセントが持ち出されるときは、承諾書への署名捺印がついてくる。これは詐欺行為を正当化する手口と同じである。
一人の医者が客観的な説明などできるはずがない。きちんとした説明とは、医者にとって都合の良い説明のことである。
さらに、本人が同意したという証拠を残しておいて、問題が起これば自己責任にする。こんなことが、インフォームド・コンセントという言葉で正当化されている。
医療はそもそも患者のためにある。本来であれば、患者が間違った選択をしたなら、そうさせた医者に責任がある。1990年代は、医療が急速にビジネス化していった時期だった。
インフォームド・コンセントは、「自己決定」を美化する余り、患者自身を孤立させるので、私はセカンド・オピニオンを求めることを推奨した。
「自己決定」という言葉が美化される風潮に危うさを感じる者の一人として、この本の主張には共感するのだが、この本は、素直に誰にでもおすすめできるものではない。
著者は、「自己決定」と「自己決定権」を厳密に区別するが、現実には大きな意味はないように思った。
西欧哲学の先達たちの名前が次々に引用されるが、一般読者はとばして読んでも、著者の主張は十分理解できる。聞いたこともないカタカナ言葉が頻繁に出てくるが、辞書を引いて調べるまでもなく、とばして読むのがよい。
ヨーロッパ哲学、マルクス主義や実存主義、東洋的、西洋的などという言葉を使ったりして、持論の哲学を展開するのは別のところでやってほしい。
とくに後半はおすすめできない。増補された部分は自慢話が目立つ。やはり学者の書く文章はおもしろくない。この本の出版の目的が、自己決定権という罠を、読者に広く訴えることだとしたら、余計な話が多すぎる。
説明によると、この本の前半部分は、インタビューを受けその内容が文章化されたもので、後半の増補部分が、著者自身の文章ということである。
前半は、インタビュアーの今野哲夫さんの編集が入っているから、きちんと説得力のある文章になっているのだと理解した。
N
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