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『ニッポン国vs泉南石綿村』制作ノート 原一男+疾走プロダクション編

『ニッポン国vs泉南石綿村』制作ノート

 「普通の人」を撮って、おもしろい映画ができるんか?

 原一男+疾走プロダクション

 現代書館2018年 2300円+税

☆☆☆★★★

 

 広い視点からこの本を理解するには、資料編の「世界のアスベスト事情」を先に読むのがよいだろう。

石綿とはアスベストのことである。安上がりで耐久性があるから、自動車のブレーキパッドや、絶縁材、断熱材などに使われてきた。

ところが生産工場などで、粉塵となった繊維を吸い込むと、大変な被害を引き起こす。

アスベスト特有の被害として、アスベスト肺と中皮腫の二つが広く知られている。アスベスト肺は、肺が繊維化して硬くなり呼吸ができなくなる。中皮腫は悪性腫瘍の一種で、発見しにくく治療も困難である。

アスベストは、他に肺がん、卵巣がん、喉頭がんなどの原因にもなる。アスベスト被害が厄介なのは、吸い込んでからいつ発病するかがわからない点にある。元気で暮らしている人でも、工場をやめてから50年後に突然発病することもある。

アスベスト被害者が増え被害の深刻さがわかってくると、被害者支援とアスベスト対策が大きな社会的課題となった。工場がアスベストを扱っていたなど、アスベストとの関連が見つかれば職業被曝とされる。

現在、62カ国で禁止されているが、なおも使用されている国がある。禁止されたからといっても、かつて使われたアスベストが全て回収されたわけではない。

日本では2012年に全面禁止された。しかし、過去の建造物や製品にはなおもアスベストが存在しそのままの状態である。それをいかに安全に回収するかが問題になっている。

ロシア、カザフスタンでは現在も生産されている。カナダでは、2016年まで積極的に生産輸出され死の商人とまで言われた。

なぜ国際機関などが全面的に禁止しようとしないのか。英米などの死の商人たちが暗躍し、資金を提供してアスベスト禁止活動団体や国際機関などにスパイを送り込んでいるという話もある。

 

 さて、この本は、あくまでも映画づくりの制作ノートである。

大阪府泉南のアスベストを扱っていた工場地帯の被害者たちが国を提訴した。映画は、原告団、弁護団、支援する市民団体が提訴してから、最後に最高裁で勝利を勝ち取るまでの記録映画だ。

被害者が元気なときに撮影する。追加を撮影しようとすると「あの人亡くなった」と知らされる。そんなことがくり返される。しかし、繰り返しを撮ることでドキュメンタリー映画になった。

 制作ノートを一冊の本として出版する以上、そこには当然、映画とは別の何か訴えたいものがあってほしい。

著者は、この映画づくりにおいてもドキュメンタリーの難しさに葛藤する。そして、映画では描ききれなかったものを、本で表現したかったと言う。つまりこの本は、映画の補足かガイドブックだと著者自身が言っている。

映画の副読本ならそれなりに意味はあるのだろうけれど、読んでいてどうしても疑問に感じるところがある。「人には『生活者』と『表現者』とがいる」という主張である。「表現者」は、表現活動だからといって「生活者」の生活を邪魔してはならない。この主張が、何度もくり返される。

被害者の「生活」を邪魔しないという姿勢は理解できる。しかし、「生活者」に寄り添うことも「生活」の一部である。当たり前の社会では、誰もが生活をしており、誰もが言いたいことを言う。誰もが「生活者」であり「表現者」であって、分けることなどできない。

この矛盾は、監督自ら映画に登場し、出演者に議論をふっかける場面にも現れる。場面場面で監督自身が黙っていられなくて言いたいことが出てしまう。第3者になりきれず議論に加わるのは、「生活者」だからである。

 

同じ矛盾は、制作ノートを本として出版することにも関連してくる。

本と映画は別物だ。映画には映画の良さがあり、本には本の良さがある。出演者3人へのインタビューは、確かに映画ではなかった出演者の言葉が引き出され、出演者それぞれの熱い思いが伝わってくる。

しかし、おもしろい話を並べれば本になるというものではない。

資料編の「世界のアスベスト事情」はよく調べられ整理されているが、泉南訴訟との関連付けがなく、本全体からは浮いている。映画のシナリオが載っているので、映画を実際に見ていなくても中身がわかる。訴訟関連の年表もあるから経過を整理できる。結局、著者自身が言うようにこの本は映画のための副読本なのである。

ドキュメンタリー映画では、おもしろい話をならべれば作品になるのかもしれないが、本はそういうものではない。訴えたいものが先にあり、それをどのように「表現」するかを工夫するのである。

特に監督自身が執筆した部分は、作品の宣伝と自分の自慢話の連発であり、それは「表現」というよりも監督自身の「生活」の一端である。映画の宣伝やウケ、評判が狙いなら、やはり映画の副読本の域をでない。

この本は、本の良さが活かされていないだけでなく、本の存在意義を軽んじているように思える。

本には、映画にはないメリットがある。

いつでもどこでも自分のペースで読める。途中で中断し後で続きを読んでもよい。安価で欲しければ誰でも買える。保存ができる。読んでいて想像力が働き、背景まで自分で想像できる。気に入らなければ途中で止めてもよい。

さらに、窓口が広く「表現者」たちに開かれており、それなりの努力さえすれば誰でも本を出すことができる。誰も言っていないことや言えなかったこと、言ってこなかったことを自由に言える。論理立て、体系立て、表現法をいくらでも工夫できる。長さを気にせず思う存分伝えることができる。

だからこそ書籍出版は、いつの時代も言論の自由の最前線にあるのである。

それに加え、読む側にとっての最大のメリットは、読者は自分なりにどこまでもじっくりと吟味できることだ。人物や事件、発言内容、考え方などを、広い視点に立って分類して整理したり、冷静になって体系化し、じっくりと考察することができる。何度も後戻りして確認することもできる。

こうした本のメリットが発揮されるのは、一冊の本に、訴えたいものをどのように凝縮させるかにかかっている。

 

著者は触れないが、アスベストには見過ごすことのできない大きな問題が潜んでいる。

アスベスト対策のため建物解体の経費が跳ね上がった。計画的な解体工事は監視の目があるから否応なく対策をとる。しかし、地震、津波、台風などで破壊された建物の瓦礫処理については、善意のボランティアに任せ、監視の目はない。瓦礫処理に参加したボランティアに、数十年後に健康被害が現れても、原因不明として処理されるだろう。

 いまや、人々は優しさを求め、善意のボランティアブームだ。市民団体も学校も企業も率先してボランティアに参加したり協力したりする。

評判が人気を集め、発言力が増してくる。市民活動も、力が支配するようになる。力のあるものが、都合で運動を方向付けることになる。だから、活動する人は、何よりも評判を目標にする。そこにまっとうな論理はない。アスベスト被害者は増え続ける。

書籍として出版するなら、ウケや評判ばかりを狙うのではなく、もう少し広い視点に立って、アスベスト問題を抱える社会の全体像を見失わないようにして欲しかった。原一男は、映画づくりの「表現者」「生活者」なのであって、文章による「表現者」「生活者」ではないように思う。

 

N


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