人生の目的とは何ぞや?
人生の目的とは何ぞや?
スローテンポ書店の懇話会では、前半に参加者から話題を提供をしてもらい、後半では課題解決型の議論を行っている。途中休憩の前に、前半に出された話題から、参加者に共通する課題を一つ設定し、後半の課題解決型の話し合いに備えることにしている。
新型ウイルスの感染拡大で参加者が少なくなったが、少人数なら少人数なりに内容を深められるというメリットがある。
先日の懇話会では、前半に各参加者から、小山駅前は空き店舗ばかりで活気がない、高層マンションと有料駐車場ばかりが増えている、など、日頃から感じていることが出された。その中で、一人の若手参加者から深刻な悩みが出された。
早く結婚して子どもをつくり家庭を築きたいのだけれど、相手も自分も稼ぎが悪いから、結婚どころではない。菅首相は体外受精などの不妊治療に支援金を出すなどと言っているが、少子化対策のためなら、そんなことよりも若者の給料を上げろと言いたい。近頃、生きていても喜びを感じない。何のために生きているのかわからない。
これは多くの若者が抱える悩みだと思われた。
後半の共通課題を何にするかを決めなければならない。政策論争をやったのでは立場の論戦になってしまうし、議論に参加できない人が出てくる。そこで思い切って、「人生の目的とは何ぞや」という課題を設定した。
最近ではこんなことを改めて考える機会もない。具体性がなく漠然としているし、人によっても考え方が違ってくる。しかし、だからこそ多様な意見が期待できる。とらえようによっては、真剣に考え議論したことが、参加者一人一人の人生のプラスにすることができる。
休憩の後、いよいよ話し合いが始まった。
団塊世代から意見がでた。要約してみよう。
時代を振り返ってみると、我々の世代は、戦後の発想がもっとも自由な時期に学校教育を受けた。教師たちも最も理想に燃えていた時代だ。そんな中で、子どもたちは、野球選手になりたい、政治家になる、などと、大人になったら何になりたいかといった自分の夢を語り、その目標に向かって進んでいった。
それに比べて現代の多くの若者たちはとても覚めている。将来の夢を描いてもどうせ思い通りにはなりっこない。「何をやっても変わらない」「無駄だ」「仕方がない」と先に考えてしまう。
学校では子どもたちの夢が話題になることはなく、有名校に進学することを目標にした受験教育しかやっていない。有名校に進学して一流企業に就職する。親も子どももそれを目標とする。これは夢といえるのか。
メディアがこぞって「自己実現」などというあいまいな言葉を掲げるから、若者たちは、有名になって世間から認めてもらうことだと漠然と思い込み、それを目標にする。孤独な若者は、何とか「うけ」を狙って他人に認めてもらうことで自分の居場所を確保する。若者たちはSNSで「いいね」を1万個獲得することを目指し、多くの人に自分の存在を知ってもらうことが自己実現だと信じている。
考えてみよう。中身のない自己実現は、自己満足でしかない。
熱弁に対して、若手参加者が発言した。
「私はいい家庭をつくりたいだけなんです。大きな夢がなければいけませんか。」
団塊は応えた。
「いい家庭をつくることも立派な夢だ、夢に大きい小さいはないし、良い夢、悪い夢を他人が決めるものではない。
ただ、わかって欲しいのは、この社会では夢の定番が人為的につくられ押し付けられるということがある。
一流の人間は、一流の会社に勤め、いい車を持って、結婚して家庭を持って、戸建て住宅を所有する。身に付けるものにも、格式やブランドのランクがあって、分相応のものを身に付けなければならない。資本主義市場はこんな風に絶えず宣伝する。
そして市場が人為的につくりあげた夢まで、自分の夢だと思い込まされる。だから、意識して自分を見失わないようにしなければならない。」
戦中派が発言した。
「私は生き延びるのが精一杯で、人生の目標なぞ考える余裕はなかった。人生を通してずっとそうだった。この年齢になると、ただ、苦しまないで死ぬことを願うだけだ。」
余りにも悲観的で、人生を絶望的にとらえているので、司会者が言った。
「夢に年齢は関係ない。高齢になってから夢をいだき、それに向かった人がたくさんいる。浮世絵師の北斎は75歳のときに火事にあい、家財も資料も全て失った。一時は絶望したが、奮起して絵の世界を追及し続け、90歳で死ぬまで絵をかき続けた。」
別の参加者が追加した。「伊能忠敬も、隠居した後、天文学を学び、それから生涯をかけて日本地図をつくりあげた。」
すると戦中派は、「それは能力のある人の話だ。特別な才能もない庶民には関係ない。」とやや感情的に述べ、そういうあんたの夢は何だい?」と司会者に質問した。
司会者は意見を追加することもできず、しかたなくスローテンポ書店の夢をかいつまんで述べると、戦中派は、「それは立派な夢だね」と返した。
この日の懇話会は時間切れで中途半端に終わった。
懇話会では、他人からとやかく言われたくない話をしてはいけない。他人に発言を強要することも禁止である。他人の発言に対し、感想や批判を述べるのはよいが、自分のものさしで評価するのはよくない。どんな人でも安心して参加し、自由に発言できるようにするためである。
この日の懇話会を後から振り返ると、夢を語りあう方向に向かわなかったのが残念だった。
思えば、若者が夢を語れないような現代日本をつくったのは大人たちである。そのことを大人はもっと自覚しなければならない。自覚したら反省し、これからどうすればよいかを考えればよいのだ。これを共通課題にすればよかった。
いや、もっと考えれば、夢を語れないのは若者に限らず、大人だってそうだ。若者も大人も高齢者も、生きるのが精一杯で、夢など語っていられない。今、余裕のある人も、いつ蹴落とされ落伍者になるかわからない。みんながビクビクして生きている。
だからあきらめムードが支配し、不満があっても「仕方がない」と口をそろえて言う。いつの間にかこんな日本になってしまった。
これではいけない。
ではどうすればよいのか。
この続きをスローテンポ書店の懇話会でやろう。
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