奇跡の1本松は、なぜ残ったか?
奇跡の1本松は、なぜ残ったか?
大嶋 寛
東日本大震災からまもなく10年が経とうとしている。震災が話題になる中で、日本人なら「奇跡の1本松」を知らない人はいない。
岩手県陸前高田市にあった高田松原には、7万本の松があった。大地震後の大津波によって、松の大木がことごとく流されていく中で、ただ1本だけが流されず残った。
残された一本松にメディアが注目し「奇跡の1本松」として全国に紹介した。一本松は震災にさえ負けることのない力強さを象徴し、被災者や支援者たちを勇気づけ復興に立ち向かわせた。
なぜ1本だけが残ったのだろうか?
震災の頃から疑問に思っていた。
ニュースの映像を見ていて、私は、松の木の根元にある鉄骨の残骸に目がとまった。
何か関係があるのではないだろうか。
若い頃から自転車が趣味で、仕事の合間をみつけて自転車で日本全国を旅してきた。今から47年前の1973年には、東北、北海道一周サイクリング旅行に挑戦し、その帰りに陸前高田によった。
映像に映った鉄骨の残骸は、ひょっとするとそのとき宿泊したユースホステルのものではないのだろうか。ユースホステルは、当時の若人たちに人気の安宿であり、会員制の宿泊所として全国に500カ所以上もあった。
震災から5年たって、鉄骨の正体を知る機会がやってきた。栃木から気仙沼を往複する900Kmの1泊2日強行バスツアーに参加したときのことだ。
松島や三陸海岸は、津波被害の復興工事の途上にあり、直視できないほどの惨状に大自然の力の大きさに驚嘆した。
1本松の北にあった道の駅も壊滅状態だった。そこに震災を伝え継ぐための仮設の展示場があり、その壁面には津波の高さを表示していた。
私は、その場にいたガイドに鉄骨の残骸のことをたずねてみた。そしてようやく、鉄骨はユースホステルの残骸だということがわかった。47年前に、東北・北海道一周サイクリング旅行の帰路に宿泊したユースホステルのものだった。
役割を終えたユースホステルが次の世代のために、せめて松の一本だけでも残そうと老骨の最後の力をふりしぼって、大津波の前に立ちはだかった。残骸はその証だ。
もっと詳しく聞きたいと思ったが、団体ツアーだったのであきらめた。
いつかもう一度訪れたい。そして地元の人に、ユースホステルの鉄骨が奇跡の1本松を津波から守ってくれたという話をじっくり聞いてみたい。
20/11/19
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