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あなたなら植松聖をどう説得するか その1

あなたなら植松聖をどう説得するか

その1

 

 

2016年、津久井やまゆり園で重度障害者たち19人が、次々に殺害された。

犯人の植松聖は、「障がい者は不幸をつくるだけだ」と主張し、殺害は社会のためだとして実行した。すぐに捕らえられて裁判員裁判にかけられた。初公判2020年1月、3月には超スピードで死刑が言い渡された。司法当局は、事件は特殊な人間の特殊な犯行だとして、死刑で全て終わりにしたかったのだろう。植松は控訴せず、死刑が確定した。

事件については様々な人たちが意見を述べている。

学者や評論家たちは、事件の背景を読み解き犯行に解釈を加えた。優性思想は過去のもので、大戦後ははっきりと否定されたはずだったが、個人個人の心の奥底になおも潜んでいる。そんな内なる優性思想が何かのきっかけで表に出てくる。

障がい者福祉の専門家たちの多くは主張した。障がい者を大規模施設に隔離収容するやり方が間違っていた。障がい者も健常者も地域でともに生活すれば、互いに理解が生まれ共生が実現する。

障がい者の家族たちは「私の娘は家族に優しさを教えてくれた。家族にとって大切な娘だ。障がい者は負担をかけるだけだ、というのは間違いだ」と発言している。

障がい者本人たちは、「私を殺さないで!」 と必死に訴える。

障がい者の生活を知る人たちは、障がい者に自立は無理だ。自立を願ったり自立を要求すること自体が間違いだ、という。

そんな様々な意見の中にあって、真剣に考えなければならないのが、「障害者は不幸をつくるだけだ」とする犯人の主張に対して、「理解できる」という言葉だ。そうした言葉は、むしろ障がい者介護に直接携わってきた人の中に多い。

「植松容疑者の主張も理解できる」という言葉がふと出てしまうのは、犯行そのものや優性思想を肯定するつもりではなく、介護の苦労を身を持って知り尽くした人たちが、その困難な状況を訴えたいからではないだろうか。

だが、福祉への不満を障がい者のせいにするのは間違いである。そこが整理されず混同されているようだ。

 

事件を起こした植松は、取り調べや裁判の経過中も、一貫して「障がい者は不幸をつくるだけだ」と主張し、考えを変えることはなかった。植松を改めさせようと努力する人たちもいた。

負傷した被害者家族や、障がい者支援活動家ら何人もが接見して説得を試みた。

植松は接見を受け入れた。対応は礼儀正しかった。相手の意見を真摯に聞き、自分の意見を述べた。接見した人は皆、植松は紳士的だったと言う。植松は相手の話を理解するというよりも、むしろ、自分の考えを主張できる場だととらえていたのかもしれない。

度重なる接見にも関らず植松は変わらなかった。誰一人、植松の考えを変えることができなかった。

植松を説得できないということは、今後同じような考え方の人間が現れ、犯行予告をしたときに、誰も、犯行を思いとどませることができないということだ。これが日本という社会の現実だということを、日本人は自覚しなければならない。

 

スローテンポ書店の懇話会で参加者にたずねてみた。このような場面で、あなたならどう言って説得するか?

いろいろな意見が出された。だが、意見や案が出ても、植松ならこう反論するだろうと、ことごとく反論された。その一部を紹介しよう。

 

 ○ 障がい者と一口に言っても、はっきりした定義もない。はっきりしないのに、「お前は不幸を与えるだけだ」と決め付け殺害するのはおかしい。

 × 植松は会話が出来ない人を確認して殺害している。定義のようなものさしを持っていた。

 ○ 役に立つ役に立たないを決めるのは誰だ。資本主義の経済成長神話に毒されている。

 × 植松なら言うだろう「障がい者は介助者を拘束している。経済成長などはどうでも良い。福祉予算と人材を無駄にするだけで、何も生まないではないか」 

 

そんな中で一つの熱い意見があった。その場にいなくてもわかるように補足して紹介しよう。

 

世の中にはいろんな人がいる。いろんな考え方の人、いろんな感じ方の人がいる。いろんな人がいるから、反発したり感動したりして変化が生まれる。プログラムされたロボットのような人ばかりになったら、人類の進歩は止まり、人生はさぞかしつまらないものになるだろう。

だから、人はいろんな人の存在を認め、共に生きていかなければならない。それを、多様性を認め合って共生するという。

 多様性を認め合い共生を求めるなら、自分の考えを他人に主張したり、説得することはよいが、自分の考えを押し付けてはならない。相手が理解してくれないときは、強引にわからせようとするのではなく、自分には説得力がないとして、黙って機会を待てばよい。趣味や感じ方が相容れないと思ったら、無理して付き合うことはない。そっとして変化を待てばよい。

 意見が対立するとき、腕力や武力で決着をつけようというのは民主主義に反する。民主主義は、あくまで、話し合いと説得で、互いが納得し合意することを目指す。

植松は、夜中に突然、施設に押し入って犯行に及んだ。自分の考えを実行するのはよいが、他人に押し付けたり、犠牲を強要するのは間違っている。

障がい者が望んでいないのに殺してしまうのは、強要、強制を超えた究極の押し付けである。自分の考えを押し通すために、他人の生死まで支配できるものと思い違いをしている。 

障がい者の家族も望んでいないし、社会も望んでいない。他人の生死を勝手に決める権限など誰にもない。植松は、相手や当事者や社会を無視して自分の考えを強引に実行した。本来なら、力を武器に押し付けたり強要するのではなく、話し合いと説得がなければならない。

もし植松が、自分の間違いに気付いたなら、間違いによって犠牲にされた人たちに真摯に詫びてほしい。その上で、間違った点を反省し、誰も同じ間違いをくり返さないよう社会に訴えてほしい。

 

この意見に、植松を代弁して反論する参加者はいなかった。参加者はこれなら植松を説得できるかもしれないと感じた。

しかし、これで議論が終わりではなかった。(続く)

 


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Keyword : 植松聖をどう説得するか 津久井やまゆり園 優生思想 障がい者殺傷事件 民主主義 多様性 共生

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