『鉄筆とビラ 「立高紛争」の記録1969-1970』☆☆☆☆☆★
同時代社2020年 1900円+税
☆☆☆☆☆★
帯やカバーには、「心打つ」「美しい」「今の高校生や教員に読んで欲しい」「戦後民主主義が、その力を美しく凝縮させた一瞬が描かれた」「生きた記録である」などの絶賛する言葉がたくさん並ぶ。大学名誉教授たちの評価だ。現代日本の優等生たちが評価したということである。
この本は、今の大人が、50年前の若者だった頃に真剣に考え真剣に行動した自分を振り返るものである。自分たちはこのように考え、このように行動したという話を、現代の若者たちに向かって言っているようだ。
これを読めば、今の若者たちも決して「うざい!」とは言わないだろう。
学校がバリケードで封鎖された。少数派のバリケード派高校生が、他の生徒たちと教職員たちに向かって、体を張って問題提起したのだ。
「我々は商品となるべく生かされている。その現実と対決するには自己否定しかない。我々は『生かされることを拒否する』と宣言する。」
メディアは、バリケード派高校生たちを時代の寵児としてとりあげた。ヒーローに持ち上げ、バリケード反対派を妨害者として描いた。そういうやり方でインパクトを与え、社会に発信した。時代に閉塞感をいだく人たちは報道を信じバリケード派高校生に共感した。
学校を封鎖された生徒の中には、バリ派に共感する生徒もいたし、授業継続を願う生徒もいた。いずれにせよ、問題を突きつけられた生徒たちは考えた。受験を控える生徒も、騒ぎに無関心な生徒も、考えざるをえなかった。メディアと違ったのは、バリ派に理解を示す生徒たちも決してバリ派を英雄視しなかった。
バリ派も反対派も、どこまでも冷静に努め、公平に見ようとした。黙っていられない高校生は自ら発信した。ネットもSNSもない時代である。連日個人ビラが撒かれた。
書名にある「鉄筆とビラ」はここからくる。印刷機もコピー機も使えない時代は、ガリ版に原紙を置き鉄筆で原稿を手書きした。できた原紙を謄写版にセットし、インクをつけたローラーを押してインクまみれになって1枚ずつプリントした。
バリケード封鎖という行動スタイルやその問題提起は、大人社会の党派性の論理が入り込んだものと思えるが、バリ派生徒たちは背伸びして、大人の論理を自分の論理とした。反対派生徒たちも、言葉の一つ一つを理解しようとした。当事者たちは当時を振り返り「痛々しいまで自分の言葉で語ろうとした」と表現している。
今の時代であれば、もやもやとした現状への不満に対し、誰かが異議を申し立てても「無駄な努力だ」として無視される。受けをねらって多少カッコよく工夫して発言すると「いいね」という者も現れる。人気が出てきたものには、多くの人が追随する。そうでもなければ現状に不満があっても我慢して内にこもる。
50年前は、異議申し立てがカッコいいとして受け入れられた。バリ派はそれに乗った。
バリ派も反対派も真剣だった。バリ派は命をかけて問題提起した。それに対して反対派も本気で「学ぶ権利は誰も否定できない」として立ち向かった。
封鎖される中、反対派は連日ビラを配り、生徒たちを戸別訪問して訴えた。そして、全校生徒の三分の二以上の800名の署名を集め、生徒総会を成立させた。
バリケード封鎖は解除された。
ユネスコが「学習権宣言」を世界共通の理念として宣言したのは1985年のことだが、その16年も前に、日本の立川高校では、生徒たちの総意として「学ぶ権利」が採択され宣言されていた。
バリ派は、本気度で負けたのか、強引さで負けたのか。問題提起には共感する者がいても、バリケード封鎖には支持が得られなかった。しかし、生徒たちにも教員たちにも考える機会を与えたのだから、バリケード封鎖の目的は果たしたと言えるだろう。
教員たちがどのように対処したかに注目してほしい。教員たちは一貫して生徒たちが決めることを尊重し、見守った。生徒たちに口出しすることなく、父兄との連絡など、やるべきことを一つ一つこなした。
何も発言せず単なる伝達ロボットか、あるいは実行ロボットになりきっている現代の教員たちは、教育の歴史に目を開き、その中における自分の位置を見つめてもらいたい。
この本の出版に携わった大人たちに限らず、この時代を、真剣に生きてきた大人たちは、輝いていた自分の人生の一時期を現代の若者に知ってもらいたいと願う。しかし普通に語ったのでは、今の若者たちにとっては押し付けにしかならない。
思い起こしてもらいたい。自分たちが若者であった頃、当時の大人たちの説教を黙って聞いただろうか。世代を越えて知恵や教訓が引き継がれることがない。悲しいことだが、これが今の日本であり、変革がなければ将来も続く。
歴史の真実が伝えられないから、歴史の教訓が得られない。日本は過去から学ぶことができない国になってしまったのだ。
大人たちに出来ることは何だろう。
若者からバカにされようが、一貫して自分が信じる生き方をすることではないだろうか。
若者たちは見ている。大人たちの背中を見て自分たちの生き方を考えている。だから大人はそんな若者に決して押し付けてはならない。
考え方を伝えたいなら、自らが実践し、若者が「いいものだ」と感じるようにする。自らが見本とならないで、理屈を並べるから、若者から「うざい!」と言われる。
押し付けるのではなく、自分が何を考え、どのように生きてきたかを、わかるように残す。無視されようがきちんと記録を残す。無視される中で、誰かが気付けばそれでよい。それが始まりだ。
そういう意味で、この本は、若者たちに気付いてもらえる本だといえる。
この本に不満がないわけではない。
立川高校事件は、バリ派生徒の数名を退学処分にして清算された。不祥事は誰かに腹を切らせて終わらせる。これは悪しき日本の因襲そのままの幕引きだ。
それはまずいと言うことで、見直された結果がこの本の出版につながった。バリ派の言い分も取り上げたというのだろうか。
課題が残る。
教育機関が、教育の対象を退学処分にしている。そこでなされる教育とは、都合の良い生徒だけを対象に、都合のよい教育をするためのものとなるだろう。この問題をうやむやにしてはならない。
課題をもう一つ加えたい。
50年前に若者であった当事者たちが、今の若者たちに向かって訴えるなら、50年後の今の自分たちは何をしているのか、さらに50年前に考え行動したことが、今にどのように影響しているかを言う必要があるだろう。
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