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『加害者家族バッシング 世間学から考える』佐藤直樹 ☆☆☆★★

    『加害者家族バッシング

            世間学から考える』

 佐藤直樹

現代書館2020年 1800円+税

☆☆☆★★

 

加害者家族バッシングとは、加害者本人だけでなく、家族までもが世間から攻撃されることをいう。何の罪もない家族が、加害者と同じ家族だというだけで、攻撃され追い詰められ、ときには自殺に至る。

著者は、これは日本特有の現象であるとして、その原因を「世間」に見つけ、解決の道筋を提示する。

著者は言う。「世間」の圧力とは、「社会」の圧力とは違う。「社会」は法に従って民を支配するが、「世間」は法を超え、それ以上の力で民を支配する。「世間」とは実体があいまいだが、日本人を縛る力は法律以上だ。

 加害者家族の人権を守るため、この日本という国に平和と民主主義を確かなものにするために、それを阻む大きな要因として、この「世間」の実体を知らなければならない。

 

著者は、加害者家族バッシングを、日本人が抱える問題だとしてはっきりと提起した。我々が普段見過ごして来た問題、をきちんと取り上げ気付かせてくれた。さらに、この問題を「世間」の圧力と結びつけ、日本にはびこる「世間」というものに注目させたのは、著者の功績といえるだろう。この2点はともに称賛したい。

問題解決の常道は、原因を突き止め、原因となるものをなくすことに尽きる。

この本にはいろいろな事例が紹介されている。著者の訴えはいちいちもっともなのだが、こうすれば加害者家族が平和に暮らせるようになるというはっきりした道筋が見えない。

「世間」の圧力という表現が何度も出てくるが、この表現は、歴史、民族、文化、政治、宗教、教育、コミュニティー論、メディア論などと切り離しては考えられない。「世間」の圧力という表現の一人歩きが、論点があまり整理されていないように感じる原因であろう。

読書とは、本から得られるものを十分読み取ればよいのであって、得られるものは人によって違う。だから、読み方は人それぞれでよい。

とりあえず、気付いた点を述べておこう。この本を読んだ読者が戸惑ったときに参考にしてもらいたい。

②「あきらめ圧力」と⑤「他人に無関心」はこの文章の筆者独自の追加であり、現代社会の動きや変化を見つめるうえで、参考にしてもらえるだろう。他はこの本の著者の提言に対する筆者からの補足である。

 

①「世間」の圧力

 加害者家族バッシングの問題について、著者は「世間」の圧力を中心に論じる。他の要因は、これを補足したり付随するものだ。

 日本では異常なまでに「世間」の圧力が強大であることは間違いないが、「世間」の圧力の中身や、なぜ強大になったかについても、踏み込んで欲しかった。

 例えば、地震、津波などの巨大災害時にも、日本人は秩序を守り略奪や暴動などが起こらないことに対し、外国人は驚き賞賛する。秩序を守ることも、一種の「世間」の圧力が働いているからだと言えるだろう。

 著者のいう「世間」の圧力とは、庶民にとっては嫌悪すべき抑圧的な圧力のことであり、それが強大になったのは、国家という権力が庶民を管理するためであろう。官僚や警察は勿論のこと、保守的政治家、学者、ジャーナリストたちにとって都合がよかった。

 著者は「世間」の圧力のことを同調圧力とみなし、これは日本だけの問題だとする。

果たしてそうだろうか。

ナチス時代のドイツ人の多くが同調圧力に屈したのではなかったか。彼らはワイマール時代に人権思想を教えられてきたはずだった。条件が整えば、同調圧力は、いつでもどこでも、時間の経過と共に、出現したり消えたりする。

今の日本においても、同調圧力には地域差がある。北海道や沖縄では東京とは違った同調圧力がある。

時代による違いを見ることによっても、ことの本質を知ることができる。

 戦争中の何も言えない時代もあったし、反核運動、原発反対運動が冷めて見られる時代もあった。江戸の元禄時代や大正デモクラシーの時代には、オカミに逆らったものは英雄になった。70年安保前には若者が自ら主張した時代だった。同調圧力の中身は時代によって違ってくる。

 同調圧力は権力者や右翼だけでなく、左翼や人権活動団体までもが利用する。「善意の圧力」「正義の圧力」だ。

「津波や洪水被災者を支援するのは当たり前だ」「戦争は悲惨に決まっている。平和主義が当然だ」「動物愛護」「地球温暖化防止、CO2排出反対」「受動喫煙対策のために禁煙だ」などは同調圧力となる。

意識してもしなくても、同調圧力というものが社会の動きを左右する。

庶民は「善意の圧力」というものに嫌気を感じ始めた。右翼や権力者たちは、「善意の圧力」に対する庶民の反感を逆に利用し始めた。これもネット右翼やヘイトスピーチの誕生につながっていく。

これらを見ても、同調圧力が日本特有とはいえないし、伝統的な日本の思想に根ざすとは言えない。同調圧力には、それを出現させる要因がある。メディア、教育文化政策、企業活動、などを含めて、深く切り込んでほしい。

 

②「あきらめ圧力

「世間」の圧力の中身についての著者の言及はないが、これこそ重要だと思うのが、「あきらめ圧力」である。「世間」の圧力が強大化する原因でもある。

歴史を振り返ると、日本の民には支配され続けてきた苦しみが存在する。反乱、一揆などの政情の破綻や混乱が起これば、為政者たちは自らの無策には目をつぶり、原因を騒ぎ立てる側に探し出し、強引に弾圧をくり返してきた。そこには、家族や村ごとの連帯責任制度など、日本独特の非人間的な弾圧手法が盛り込まれていた。

 一揆を起こすと村ごとつぶされた。反乱を起こせば、地域や地方丸ごと消滅させられた。その結果、日本人は、騒ぎ立てても通じない、騒ぎ立てると返って悪くなる、ということを思い知らされた。東北蝦夷の支配や北海道、沖縄に対する植民地的統治を成功させたのは、徹底した弾圧であった。

「従順になったほうがかしこい。」「体制についたほうがとくだ。」「長いものに巻かれろ。」「しかたがない。」これらの教訓は、生き延びるためにそれこそしかたなく生まれた。体制はこの「あきらめ圧力」をうまく利用してきた。

あきらめ圧力」の統治効果が絶大であることに味をしめた為政者は、さらに民を弾圧し、自らの不始末を反省することがなくなった。だから戦争に国民を動員できた。

アジア、太平洋戦争中の国民抑圧も、為政者たちが決して反省することがないのも、日本の民にたいする「あきらめ圧力」の歴史からくる。それは、足尾、水俣をはじめ、重なる薬害事件、公害事件、冤罪事件、原発事件など、現代に通じる。

歴史の積み重ねから、日本人には、「仕方がない」「我慢する」ということが身についた。それが発展して「騒ぐのははしたない」「あきらめの美徳」とまで言われるようになった。

この「あきらめ圧力」が、なぜ加害者家族バッシングにもつながるのか。

 匿名性のネット社会は、我慢する人たちに息抜きを提供した。匿名でものが言える。そしてバッシングが始まった。あさはかな感情から、罪の自覚がない人間や罰の足りない人間を攻撃するようになった。

 始めは匿名、多数になると多数の中の一人におさまる。目立ちたがり屋がいれば英雄に祭りあげられ、やたらと賛美されることになる。こうしてネット右翼やヘイトスピーチが誕生する。加害者家族バッシングも同じである。

 

③ 無責任体制

 これは、責任不在の家族制度や組織制度のことをいう。家長を中心に家族をとらえる。家族の構成員一人一人を個人と見るのではなく家族の一員としかみない。個人を個別に見ない。子どもを親の所有物と見る。だから、個人の罪を家族の罪と見る。

 会社や組織も家族の延長として見るから、個人の言動は全て会社の責任となり、個人の不始末に対して個人が責任を負うことはない。公務員や警察官が、業務上の不始末を個人が負うことがないことも同じである。

 官僚、大企業の一員は、業務上の不始末に責任はない。何をやっても責任をとることはない。薬害エイズ事件の厚生官僚、冤罪事件をくりかえす警察、検察、彼らが反省することはない。政策を決断した者が存在するが、責任をとることはない。まれに処罰されるのは、気の毒ないけにえだ。

著者は、日本には個人主義が根付かなかったから、いまだ①③がはびこるとするが、全く逆であろう。①②③が個人主義的な考え方を排除してきたと考える。

 

④ 「世間に迷惑をかけてはならない」という圧力

「人に迷惑をかけてはならない」という教えは、日本人なら誰でも学校や親から厳しく言い聞かされる。個人も家族も組織も、世間から後ろ指を刺されないようにしなければならない。人も家族も組織も、「世間に迷惑をかけてはならない」。教育も研修もそのためにある。

世間に迷惑をかけそうな子は、世間に迷惑をかけないように殺してしまうことになる。世間に迷惑をかけた子は、親が殺して世間にお詫びをする。家族が世間に対して責任を果たすまでは、子どもや家族に人権はない。

世間から離れては生きて行けない。だから、そこに高度な自己規制が作動する。これは、江戸時代の5人組などの連帯責任制度の現代風発展型といえる。

だから、それに違反する加害者家族に対してバッシングが始まる。

一見なるほどと思うが、時代錯誤であろう。

精神障害者や高齢者の隔離施設への収容、自宅で社会との接触を断つひきこもりは、世間に迷惑をかけてはならぬ、という圧力が原因なのか。

面倒をみる家族の多くが、自分たちの社会生活を守るためであったり、また自分たち家族の恥を隠したいからであったり、理由は様々だ。しかし、世間に迷惑をかけてはならぬと考える家族が多数だとは思えない。この問題の根本原因は社会の側が対応せず、家族に丸投げしていることにある。

今どき、個人も企業も「世間に迷惑をかけてはならない」などとは言ってはいられない。生き延びるために、あらゆる手を尽くして相手をその気にさせるのである。法律を犯さなければ、相手を不幸に招いても、だましてもよいのである。成功すれば、過去はどうでもよい。それが当たり前になっている。

「世間に迷惑をかけてはならぬ」という言葉も、都合よいときに引っ張り出されるが、決して本質が語られることはない。

その本質とは、「オカミに迷惑をかけるとしっぺ返しがくる」である。

 

⑤ 他人に無関心

 この本ではどうしても抜けていると思える視点がある。問題を他人事として無視する日本の風潮についてである。著者の思いは別のところにあるのかもしれないが、読者の参考になると思い追加する。

 

当事者、関係者にとっては重大問題であっても、自分に直接関わりがなければ、他人事としてみる風潮が、日本には蔓延している。

ネット上での些細な問題にいちいち付き合わない。拡散炎上したりして大問題になったときにはじめて関心を持ちはじめる。

新聞、テレビなどのニュースも、関心がなければ無視する。報道する側も、自社の利益や損失に影響しないニュースは無視して採り上げない。批判されそうなときは、重い腰を上げる。

だから、報道はどうしても第三者的になる。これは、役人たちや政治家、評論家、学者、作家などについても同じだ。

加害者家族バッシングについても同じだ。この本が出版されても、話題として大きく取り上げられることがなければ、メディアも評論家も学者も問題視しない。何かを述べても第三者的となり、原因を見つけ出し、解決にこぎつけようという気はない。

今、社会問題になってよいはずの深刻な問題が無視されている。学校でのいじめ問題に関連して教員の側のやる気の問題、ブラック校則とまでいわれる理不尽な校則、ひきこもりの長期化、介護職の待遇改善、挙げればきりがない。

年金改革や逮捕後の密室での人権無視の取調べ、冤罪の蔓延など、一時は騒がれれたがいつのまにか無視されている問題もいくらでもある。

こうした問題に、苦情や反対運動がないのはどうしてか。誰も望まないマスクを国民に配布するのに300億円かけても、デモも暴動も発生しない国民に、日本人は洗脳されてしまったと見ることが出来る。

デモも暴動もない。騒がない。これは日本人の特徴といえるが、どこから来るのかを考えると、本質的なところはやはり②③であろう。

 

 

 改めて全体を振り返ると、②「あきらめ圧力」、③「無責任体制」、⑤「他人に無関心」の3つから、日本の現代を見なおす必要性を感じる。

 加害者家族バッシングは、②③⑤への反発の一種とも言える。同じことは、ネット右翼やヘイトスピーチ、新型コロナ感染状況における、コロナいじめ、コロナ自警団にも共通する。それを防ぐのは②③⑤にきちんと対応することである。

 

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