『韓国 歴史ドラマの再発見 可視化される身分と白丁(ペクチョン)』朝治武著☆☆☆☆
『韓国 歴史ドラマの再発見
朝治武著 解放出版社2019年 2800円+税
☆☆☆☆
テレビを見ていて、韓国関連の報道や、コメンテーターの話などを耳にすると感じることがある。韓国政治は、韓流ドラマそのものだ。そこには人間ドラマがある。
そういえば、韓流ドラマは人間ドラマを描く。韓国歴史ドラマは、そこに生きた人間のドラマを現代に伝える。その韓流ドラマ、歴史ドラマはどのようにして生まれたのだろう。
IMF通貨危機を契機とした経済危機を乗り越えたばかりのキム・テジュン政権は、国家をあげて映画づくりに取り組んだ。
1999年には、軍事政権時代からの映画振興公社を映画振興委員会に改称したのを皮切りに、新しく文化産業振興法を制定し文化産業振興基金を設立した。そして、新しい映画づくりに予算と人材を投入し、大学などでも勢力的に俳優や演出家を養成した。新人を発掘するのは勿論のこと、韓国出身で世界で活躍する既出の映画人も呼び戻した。
なぜ、そこまでやったのだろうか?
その疑問を抱いたまま、韓国歴史ドラマを思い起こせば、映画にたくした思いがわかるような気がする。映画で人間づくりをやったのだ。
国づくりは人づくりから始まる。政治も経済も、学問、文化、芸術、言論、報道・・・あらゆるものを、実際に担っていくのは人間である。その人間がどのような人間かによって、国の形が決まる。
韓国歴史ドラマはどれもが、人権尊重と日常との結びつきで一貫している。そこには、キム・テジュン自身のそれまでの人生が深く影響しているだろう。
キム・テジュンは、軍事独裁政権下の時代から民主化を訴え、暗殺未遂の自動車事故で股関節を損傷した。日本に外遊していたときには、拉致され殺害されるところをかろうじて生き延びた。投獄、拉致監禁の期間はトータルで10年以上に及ぶ。大統領選に繰り返し落選し、民主化された韓国でようやく大統領になれた。ようやくそれまで一貫して抱いてきた国づくり構想を実現できるようになったのである。
韓国歴史ドラマが人づくりをやった結果が、現代の韓国政治であり韓国人の政治に対する姿勢である。そして報道もそれに応える。軍事政権以来の保守勢力はなおも勢いを保っているが、人権尊重と日常との結びつきに関しては、報道に触れるたびに格段に進歩していると感じる。
この本は、表題通り、まさに韓国歴史ドラマの再発見である。韓国歴史ドラマは、歴史伝説でもなく、歴史上の英雄ばかりが主人行となって登場するヒーローの物語でもない。それは、ものを食い、息を吸いながら家族や隣人と共に生活を営むという人間ドラマであり、歴史上の人物が登場すれば、そこには必ず人間ドラマが付いてくる。
現代の生活上の関心事がそのまま歴史の舞台に現れるのだから、それを観る現代人をドラマの主人行になった気にさせる。
この本は、庶民の中でも、特に被差別階級の白丁(ペクチョン)に焦点をあてる。
ペクチョンとは、もともと家畜の屠殺を生業とする職業であった。街から隔絶された場所に住まわされ、ペクチョンの子はペクチョンとされたから、被差別階級の身分として固定されていった。
「クサイ、汚い。」「街に入ってはならぬ。」「常民と一緒に食事も話もしてはならぬ。」「人間ではない、家畜以下だ。」と言って差別され、ペクチョンという理由だけでぶん殴られる。肉を届けて客が代金を払わなくても文句を言えない。
このような理不尽な差別に、ペクチョンたちは常に悔しい思いをする。いつか見返してやろうと思うが、どうすることも出来ない。この構造は日本の部落差別と同じだ。
この本は、ペクチョンの誕生から民主化によって身分差別がなくなるまでの歴史を丁寧に解説する。
本全体に渡っていくつもの作品が紹介されていて、韓国映画ファンにはありがたい。しかし、なじみのない読者は返って混乱するので、著者が特に力を込めて紹介している作品2つを名前だけでも紹介しておこう。
『林巨正―快刀イム・コッチョン』は、全44話からなり、1996年からテレビで放映された。悪政に義賊として立ち向かった一人のペクチョンの一代記であり、盗賊行為や反乱などで、身分差別に抵抗し、朝鮮王朝末期を揺るがせた。
『済衆院』全36話は、2010年に放映され、近代朝鮮で外科医になったペクチョンの物語である。
いずれも人物やストーリーが詳しく紹介されているので、読んでいくうちに映画そのものを見たくなる。
ドラマは、厳しい身分差別、暴力と虐待、差別される側の内面をも描き、歴史の現実をリアルに伝える。過酷な社会を懸命に生きる姿や、そこに渦巻く人間の情愛を描くことによって、ペクチョンという身分を可視化させる。
ペクチョンに対する差別は、そもそも家畜の屠殺と解体という職業への差別が始まりだった。やがて理不尽な身分差別になっていくが、ペクチョン自身は、食肉の生産は、人々にとって必要不可欠でありしかも神聖な仕事だとして、自分たちの仕事に誇りを抱いていた。映画はその仕事の場面も厳粛に描く。その表現力には差別感情を吹きとばす力がある。
さて、ペクチョン差別は近代を迎えてもなくならなかった。李朝末期の1894年に起こった甲午農民蜂起を受けての甲午改革によって、制度上の差別はなくなったはずだったが、国民意識の中に身分上の差別は根強く生き残っていた。近代化による平等意識との狭間で、差別される側が受ける理不尽な思いは、返って増した。
現代ではペクチョン差別は実質的になくなった。時代の変化と共に、食肉を扱う仕事への差別感情がなくなったことなどが上げられるが、キム・テジュン政権が2001年に、国家人権委員会という特別機関を設置し、国を挙げて差別撲滅に取り組んだ影響は大きいだろう。
この機関の目的は、全ての個人の基本的人権を守り、その水準の向上により、人間としての尊厳と価値を具現して民主的基本秩序の確立に寄与すること、と明言している。
注目すべきは、国家機関から圧力を排除するために、司法、行政、立法から独立して設けられたことだ。人権侵害、差別行為に対する調査と救済、教育、広報など、具体的に行動し、積極的に調査、研究、提言に取り組んだ。差別によるトラブルの通報があれば、職員が一つ一つ取り組んでいった。
そのような取り組みの意欲は引き継がれ、2009年には戸籍制度も廃止された。人権意識の変化は、検察・警察による被害、国家権力による被害にまで広がり、女性や障害者、外国人、社会的、政治的差別のあらゆる領域にまで及んだ。
国家をあげて取り組めば、被差別階級もなくすことができる、といことが韓国において実証された。逆にいえば、差別や排除が残るのは、国が対策しないからだ、といえるだろう。
さらに現代の韓国は、新自由主義の影響で、財閥が力を持ち、新たな格差社会となった。家柄によって経済格差が生まれ、豊かなものはより豊かに、貧しいものは努力してもそこから這い上がれない。そこに新たな身分意識が生まれた。それは新たな身分差別を生みだし、それが社会問題となり、多くの韓国人の共通認識となっている。
著者は、韓国歴史ドラマは、現代の韓国が直面する社会的、政治的問題に対しての批判的な問題意識が底にあり、現代が直面する多様な問題を照射しようとする、と言う。いずれにせよ、韓国人は、歴史ドラマを他人ごとではなく、登場人物になりきって見ている。
最後に著者は、3作品を挙げ、すでに紹介した2作品に『白丁の娘』を加え、「朝鮮史と現代の韓国における差別と人権に関する問題意識を広く喚起した、画期的名作であった・・・」と絶賛する。
この本は、キム・テジュン政権が国家をあげてやった映画づくりと、その成果を教えてくれる。そして、歴史教育を人間教育に取り込んだ韓国と、特権階級の歴史観で歴史を教える日本との違いを、浮き彫りにする。
その違いは、両国の政治、報道、国民意識の違いにはっきりと現れている。韓国では現実がそのままドラマであるのに対し、日本では現実があたかも他人事のように感じてしまう。
日本ではニュースが、まるで他人事のように報道されるから、政治も社会も他人事のように映る。歴史も戦争も、原発事故も水俣病も薬害も他人事になってしまうし、ハンセン病や精神病、障害者、高齢者などに対する隔離問題も他人事になってしまう。
過去の歴史を反省できない日本人はこうして生まれる。そういう意味で、この本は、現代日本を外側から見つめるためのきっかけを与えてくる。
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