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『知的障害のある人の ライフストーリーの語りからみた障害の自己認識』杉田穏子 ☆★★★

『知的障害のある人の

ライフストーリーの語りからみた

障害の自己認識

 

杉田穏子

現代書館2017年 2500円+税

☆★★★

 

 

帯に、「知的障害があることを当事者はどう認識しているのか」とある。

障害者が、本当は何を願っているかがわからなければ、支援活動も共生への努力も自己満足になってしまう。

知的障害に関る支援者や学者たちは、「知的障害者は、こう願っている」「このように思っている」と言うが、それが知的障害者自身の本当の思いなのかといつも疑問を感じる。本人の言動などから、他人が推測し決めつけているのであって、それが当たっているかどうかはわからない。障害者福祉や支援活動は、他人が勝手に決め付けた上に形づくられている。

「本当は何を願っているか」の出発点になるのが、当事者の自己認識である。自己認識とは、自分自身を客観的に見るということであり、別の言葉でいえば、社会という枠組みの中で自分はどこに位置するのかの認識でる。

 当事者の自己認識の上に立ってこそ、そこから出される当事者の願いを、単なるわがままや、その場限りの願いなどと区別して、社会的課題として取り組むべきかどうかが決まる。

障害者との共生を目指すなら、障害者の自己認識を、全ての人が知っていなければならない。特に知的障害者の場合は、本人に自己認識能力などはないと決め付け、ほとんど他人が決めている。そのような問題意識を持っていたから、期待してこの本を読み進めた。

 ところが読み進めるうちに、大きな問題にぶち当たり、次々に疑問が生まれた。かなり批判的になるが、著者に限らず、知的障害者の置かれた状況を見る上では大切なことなので、特に重要な点を大きく分けて2点にしぼって述べる。

 

1.「知的障害者」という言葉には定義がない

 「知的障害者」に限らず、「障害者」に関する法律はたくさんあるが、「障害者」の法律上の定義はない。

 それについてはこの本でも触れているが、だからどうすべきなのかがない。

 行政は、サービスの対象者をはっきりさせるために線引きが必要になる。現実には、障害者手帳を持っている人のことを「障害者」とし、サービス対象にしている。障害があっても申請しない人は、行政サービスの対象外となる。

 従って、自分が「障害者」だと自己認識し、障害者手帳を申請しなければ、行政サービスから取り残されることになる。

その障害の自己認識が、誰の目からもはっきりした障害の場合は、何ら困難はないが、「知的障害者」の場合は、定義がはっきりしないことや社会的偏見や差別が影響し、難しいことが多い。そしてそのことがさまざまな問題につながる。

 

 この本は、タイトルどおり、「知的障害」のある人にライフストーリーを聞き取り、そこから障害の自己認識を知る、としている。ところが「知的障害者」の定義がない。

そこに問題点の一つが始まる。

目的を持って調査を進めるなら、どうしても調査の対象を決める必要がある。

「知的障害者」の定義付けに社会的合意がないならば、この調査に限るとしてでも、調査対象を自分で設定しなければならない。さらに自分で設定したなら、その理由や必要性を説明する必要も出てくる。

この本には、それらがない。本来なら、調査対象のはっきりしない調査や研究は成立しない。

 それだけでなく、「知的障害者」の自己認識の調査であるから、対象者の設定だけでなく、何を認識したかも問題になる。本人が「知的障害者」だと認識しているかどうかを調査するのだから、「知的障害者」の定義がなければ、自己認識の中身もはっきりしないことになる。

 この本は、どうやら知的障害者の支援施設などに収容されているなど、行政の枠組みをそのまま受け入れ、対象者を決めているようだ。自己認識の中身についても、同じ枠組みを受け入れ、自分は「知的障害者」だと自分の言葉で発するかどうかが基準になっているようだ。

 その枠組みとは、IQを軸にして線を引き、基準に満たなければ「知的障害者」としてレッテルを貼り付けるというものだ。本人ではなく全て他人が決め付ける。しかし、そんな枠組みは、社会全体の合意ではない。

その枠組みとは、人間をロボットか奴隷と見なし、その性能評価の枠組みである。IQで何がわかるのか。計算能力、整理能力、記憶能力ぐらいのもので、全てパソコンにやらせればすむ能力である。

人間だから大切な能力は他にある。他人の気持ちを理解する能力(共感力)や、誰も思いつかないことを考える能力(発想力)、目標に向かって集中する能力(集中力)、わき目も振らず集中し続ける能力(持続力)などなど、これらも知的能力である。

 現実社会を見ると、政治家や官僚には共感力の極端に劣った人が多く、学者や団体幹部には発想力に欠ける人が多い。そうした困った人たちは、自己認識がない。すみよい社会をつくるためには、このような人たちに対して、「知的障害者」としてきちんとレッテルを貼って自己認識を促し、成長するための支援をしたり、活躍できる職場に移したほうがよいだろう。

 「教育は根気アイデアだ」と主張する本に出会い、まさにそのとおりだと思った(『語り継ぐ 戦争と民主主義』八角宗林☆☆☆★★ )。教育に限らず、本屋の仕事も本の紹介も、考えてみれば全ての仕事が、根気アイデアで決まる。根気とは集中力、持続力のことであり、とは共感力といってもよい。アイデアとはまさに発想力である。人間だからこそ求められる能力とは、仕事をする上で必要な能力といえる。それはIQではなく、根気アイデアである。

 この本には「私は仕事が好きだし、きちんと仕事が出来る。仕事の工夫もしている。社長も仕事仲間も認めている。だから私は知的障害者ではない」と言うケースが登場する。

 著者はこのケースを「知的障害者」として調査対象とし、自己認識はないと評価する。

 くり返すが、知的障害者に定義はなく、社会的合意もない。自己認識は定義が定まっていることが前提である。この本は、そのように肝心なことをあいまいにしたまま、勝手な基準で対象者を選んで、勝手な基準で障害者イメージをつくり上げ、勝手な基準で自己認識の有無を調査している、ということになる。

 当然ながら、調査結果もあいまいで、自分の仕事を自分で評価できず、これぞという有益な研究成果はないようだ。

 

2.一般向きの本の体裁をとっているが、これは研究報告である

 具体的なケースの紹介を除けば、先行研究の引用ばかりで、一貫して著者自身はどう考えるかがない。狭い領域の学者の名前と学者の主張ばかりが並び、その世界の専門家以外には全く通用しない。引用に終始し、何故引用したのか、著者自身が何を言いたいのか、何をどうしたいのかがない。

 アカデミズムはこれまで、知的障害者のためになることは何もやってこなかった。この本は、熱心で我慢強い読者を捕まえて、知的障害者の福祉というアカデミズムの陰鬱な自己満足の世界に引きずり込もうとしているとしか思えない。学者の自己満足に付き合えるのは、価値観を共有する学者や取り巻きたちと、その世界で生きて行こうとする学者の卵だけだ。

一般書を出版するなら、どのような読者に何を訴えたいのかをはっきりさせなければならない。業績集への積み上げだけが目的なら、出版界にも読者にも甚だ迷惑である(なぜ学者が書く本はおもしろくないのか )。

 「知的障害者」には定義も社会的合意もない。何を研究するかは自由なのだから丁度よい。著者には、根気アイデアに乏しい学者たちを「知的障害者」として調査対象に設定し、彼らの自己認識を調査してもらいたい。この本の調査結果と比べ、どこがどれだけ違うのかを示してくれれば、もっと有意義な研究になるだろう。


N

>>>こんな本があります


 

 

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