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『出生前診断と私たち』 玉井真理子、渡部麻衣子編著 ☆★★★

『出生前診断と私たち』

新型出生前診断」(NIPT)が問いかけるもの

玉井真理子渡部麻衣子 編著

生活書院 2014年 2200+

☆★★★


 編著者は、出生前診断にかかわる人たちであり、研究者である。この本は、出生前診断はどうあるべきかを、自分たちの立場から語る。

 しかし、どうしても出生前診断の現状を追認し、遺伝子カウンセリングを普及する立場からは逃れられない。妊婦たちに寄り添い、少しでも役に立ちたいと願う気持ちはわかるが、結局は、悩んだらカウンセラーに相談せよ、そのためにもカウンセリングの質を向上させよ、というところに落ちつく。

 遺伝子カウンセリングとはどういうものかを、ざっと知ろうとする人にとっては、わかりやすく便利だろうが、読んでいて、世界が狭い、自分たちの世界しか見ていない、と感じる。出生前診断がかかえる様々な問題を、立場を超えて見つめるという姿勢が欠けていると言わざるをえない。多少批判的になってしまうが、著者や読者に指摘しておきたい点を述べよう。


 出生前診断とは、いかにひいき目に見ても、障害の有無によって胎児を選別するためのものである。検査結果が障害ありだった場合も、冷静に対処できるように、妊婦や親たちに心構えをつくっておきたい。障害児が生む選択をした場合でも心構えが大切で、それが出来ていれば困難をうまく乗り切れる。こんな理屈が並べられるが結局は、本人決断」による中絶を容認するシステムであり、障害児の中絶を押し進めるシステムである。

 ここにおいて、「本人の決断」や「自己決定」という言葉が美化されるのだが、本人とは母親のことであって、中絶される胎児のことではない。胎児の生きようとする意志を母親が否定してもよいことになっいる。

 恐いことに、障害児ヒトではないと決め付けている。個人の欲望をあくまでも正当化しようとする欧米資本主義の発想から来るのであろう「胎児に意思はない」とか、「胎児の意思を確認する手立てはないして決め付けるが、そこに根拠はない

 どのような胎児も必死で生きようとしている。中絶された胎児の亡きがらを見つめればわかることであり、母体のお腹の中で心臓を鼓動させたり手足を動かしている姿を、超音波画像で見れば、誰もが感じることである必死で生きようとする胎児の意志を、「母親の決断」を理由に否定できるはずがない。


もちろん自然の掟は胎児にも厳しい。必死で生き延びようとする胎児であっても、この世界で生きることが無理なら、出産に至るまでに排除されてしまうシステムが自然界には備わっている。不妊や自然流産はその結果なのである。これが自然界の法則だ。

 従って、胎児が生きるか死ぬかは胎児本人以外が決めることではない。多様性を歓迎する社会においては、自然の摂理に任せる以外はない。

 ここでは、障害児が生まれたなら、親や社会の負担が増えるから生まない選択をするということがあってはならない。障がい児がこの社会で生きるのが困難なら、その困難を除くのが社会の仕事だ。それは、この社会が多様性を尊重し障害児を喜んで迎えると宣言したからである。

ところが、現実社会は理想社会ではなかった。動物の子育てをみても、人間の歴史を振り返っても、親たちは、生まれてくる子を選別し、望まれない子間引きてきた。食糧難や貧困を克服できない社会においては当然の成り行きである。親が子どもを選別し、親の都合で子どもを排除することを、人類は長い間容認してきた。

飢えることがなくなれば、社会はそこに生きる人によって方向付けられる。何事に対しても、人が何を望むのか、人がどのような社会を築きたいのかによってルールができあがる。

 欲望の資本主義では、無力なとらえて所有物とし、人間の運命を他人が勝手に決めことが容認されている。奴隷制度はなくなったが、奴隷のような過重労働現実に存在し容認されている。雇われる側は無力であるから、理不尽な命令にも従わなければならない

 妊娠の直接の当事者は、母親と胎児の双方であることは間違いない。母親の生命に危険な場合はもちろん、この社会では、無力な胎児を所有物とみなし胎児の運命を母親が決めることも容認されてしまう。

 決断を迫られる母親は、夫や家族に相談する。そこは、欲望の資本主義だから、利害関係が複雑に絡んでくる。本来なら母親が最も相談すべきは胎児であり、胎児をきちんと見つめ胎児が何を言おうとしているかを聞きとらなければならない。


 遺伝子カウンセリングは、権威を傘に、胎児の運命を決定する権利は母親や家族にあると強引に決め付け、当事者にされた母親や家族たちが苦悩したり対立したりするのを抑えるために生まれた。必要以上に権威付けられ、相談に訪れれば誰もが問題を整理でき、理解と納得のうえで「自己決定」できるよう支援しているとうたっている。

 他者の運命を決定付けるような決断を、医療や遺伝子診断にまったくの素人が、誰の影響も受けることなくできるはずがない。知識も考え方もカウンセラー次第なのだから、その決断は間違いなくカウンセラーの影響を受ける。そのカウンセラーが、病院に所属するなど現実の医療を擁護する立場にあるのだから、中立であるはずがない。誘導された決断を、本当の自分の決断だと信じさせのがカウンセラーの仕事である。

 何のことはない。「自己決定」を絶対視することによって、医療や社会が犯す罪の責任を、患者や当事者に転嫁しているとしか考えられない。医療の責任はどこまでも医療者にあり、出生前診断の責任は、それを推し進める者たちが負わなければならない。

 その中で、遺伝子カウンセリングは、複雑に利害が絡む出生前診断をどのように扱い、苦悩する当事者たちとどのように向き合うのか。その責任は、あくまでも遺伝子カウンセリングを推し進める人たちが負わなければならない。もし間違った選択をして誰かが不幸になったなら、その責任は、間違った選択をさせたものたちが負わなければならない。


 この本は出産の現場のエピソードを紹介し主張を展開する。

 出産現場で 障がい児が誕生した。その事実を親に告知するとき

「残念ながら・・・」や「悪いニュースをお知らせしなければなりません」などとってはいけない! 「おめでとうございます」と言うべきだと主張する

 医師はそのような場面でどのように振舞うかの研修を受けたことがない。研修中に発達の障害をもつ子に会うこともほとんどない。*

 だから、カウンセリングの専門家に相談するか、カウンセリングを専門家に預けなさいと言いたいのだろう。

 現場の医師が本当に思っていることを言うのは当然であるの気持ちに寄り添って自分の言葉をかけることは間違っていない。著者たちは、「欧米の先進医学はこうだ」と言って、効率優先でマニュアル化された欧米発の医学を美化しそのまま押し付けることに何の疑問も抱いていない。日本の医師たちを、まるで旧式ロボットか軍隊における兵士かのように見ている。

 医師親たちの意識が誤っているなら、それを変えることが先だろう。告知する場面で始めて問題だとしてとりあげ、非難の対象にするのは間違っている。そもそもカウンセリングの対象を妊婦だけとするところから間違いが始まってい

医者のまなざしを批判し、私たちのまなざしを押し付けようとしていることに気付いていない。その私たちのまなざしとは、欲望刺激と効率優先の社会システムの中で形成された「マニュアル医学のまなざしではないのだろうのか。

 様々な領域で矛盾が溢れ出す現代日本において、遺伝子カウンセリング出生前診断という新しい領域をつくりあげ、研究、教育の分野までつくりだし、社会は予算と人材を配分する。新しい領域を美化し、既存の医師たちの努力をあげつらう。


 この本の考え方を逐一批判すより、胎児を守るためには、もっと大切な課題があることを示した方がよいだろう。

 例えば、高齢出産を避け若いうちに出産できる社会システムをつくる妊婦や将来子づくりをする若者たちを被曝や有害化学物質から守る。多様性を尊重する価値観の浸透。受胎から出産に至るまでの生体防御システム(自然界の法則)の理解、出産、子育てについての悩み事を何でも気軽に相談できるシステムをつくる、などなど、課題は次々と挙げられる

 例示したこれらの課題はどれも具体的で、すぐにでも実行可能だ。実行されないのは、業界などの利害が邪魔するだけのことだが、面と向かって言える人がいない。

 優先されるべきはこれら胎児を守る具体策であるちなみにこれらは、理解ある医師たちが、遺伝子カウンセリングが話題になる前から主張してきたことなのだ。


N


参考:『出生前診断 受ける受けない 誰が決めるの?』 山中美智子、玉井真理子、坂井律子編著 ☆☆☆☆ (2019/08/27)


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