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『笑撃!これが小人プロレスだ』 高部雨市 ☆☆☆☆☆

『笑撃!これが小人プロレスだ』

  高部雨市

  現代書館 2009年 2600円+税

  ☆☆☆☆☆


  掲載後に気付いたことことを、斜字体で追加しました。

     202191


東京2021オリンピックが終わり、パラリンピックが始まった。メディアはそろって、障がい者の活躍を輝かしく報道する

障がい者アスリートの困難とそれを克服し努力の結果メダリストになったという話美談にる。そんなパターン化されたストーリーが毎日のように展開される。人々はテレビ画面に夢中になってファンになった選手を応援する。

障がい者の感動物語をビジネスに利用することを「感動ポルノ」という人がいる。パラリンピックは「感動ポルノ」で沸いているというわけだ。

「感動ポルノ」と揶揄されようとも、金儲けや利権拡大のためにうまく利用されようとも、障がい者が社会に参加し評価され活躍することは好ましいことに変わりない。障がいがあるという理由で、社会から排除されることがあってはならない。

だが不思議なことにパラリンピックという舞台に小人(こびと出場しない小人レスリングという種目存在しない。いくつかの種目に、低身長と呼ばれ出場している選手がわずかに存在するだけだ。

小人こびと)という言葉は禁止されたのだろうか。小人アスリートは、それほど少ないのだろうか。


パラリンピックのテレビ番組を見ていて、これまで知らなかったことに気がついた。パラリンピックでは障がい者が競技に公平に参加できるよう、障がいの程度によってクラス分けがされている。そこに低身長のクラスもある。

陸上の円盤投げや砲丸投げの低身長のクラスでは、低身長アスリートたちが、大活躍してい

テレビでの解説によると、陸上のトラック競技で低身長のクラスがないのは、身体にあまりにも負担をかけるからだそうだ。

なるほど、低身長レスリングがないの、身体への負担が大きいからなのだろう。パラリンピックの障がい者アスリートに対するやさしさに納得した。

それにしても、日本人低身長アスリートたちの活躍が、他国に比べ極端に少ない。これは何を意味するか。


小人は一定数必ず存在し日本にも推定12万人存在する。小人がスポーツに親しめば、その中の若者たちからアスリートが生まれるはずである。

日本では、間違いなく小人は社会から排除され、パラリンピックからも排除されている。街のスーパーなどで小人を見かけることはあるが、ごくまれである

日本でもかつて小人プロレスというものがあって、20年前までは人気があった。大勢のファンがいたにもかかわらず、気がついたらなくなっていた。

何故だろうと思って『笑撃!これが小人プロレスだ』高部雨市著 現代書館2009年発行)を手にとって読んでみた。

著者は小人プロレスのファンであり理解者である。20年以上も取材を続け、個人的にも小人レスラーたちと交流を続け親交を深めた

小人レスラーたちが排除されていく過程を、小人たちとともに見てきて、「これはおかしい!」と読者に訴える。


明治6年(1873年)近代化に必死だった政府は、不具者を見世物にすることを禁止した。そのとき以来、異形を表す言葉は公文書から消えた。

1964年の東京オリンピックでは、政府が見栄えだけを重視し、汚いものを覆い隠す方針をとった。その推進のために国民的浄化運動が展開された。その結果、外国人から見えそうなところから、浮浪者、障害者、異形一掃された。

難しい話は本を読んでもらうことにして、ここではわかりやすい話にしぼって、この本を紹介しよう。

誤解のないように付け加えるが、このブログの本の紹介とは、既成の枠組みに縛られない独自の紹介であり、必要であれば本に関連した持論も含まれる。


さて、64年の東京オリンピックの頃、永遠の子役として人気の俳優、白木みのるは、民放の「てなもんや三度笠」で藤田まこととコンビを組み、当時国民の誰もが知る確固たる俳優だった。

ところが彼はNHKに出場できなかった。紅白に出演するあい方藤田を応援したいと頼んだが、NHKは断った。

その後、民放からも排除されていったが、人気者の白木は各地のイベントなどに出演している。この本の出版のときも芸能活動を続けている。

小人にも様々な種類がある。遺伝するのもしないのもある。治療法があるのもないのもある。

そんな中でも特徴的なのが軟骨異栄養症で、頭が大きく手足が短い。遺伝性で治療法は今のところない。白雪姫と七人の小人」に登場するファンタジックなイメージを抱かせる小人がこのタイプである。小人レスラーの多くもこのタイプである

白雪姫が夜中に靴職人の七人の小人のところに行くときれいに靴を仕上げてくれた。当時、小人も仕事を持って社会参加していたから、こんな物語ができたのだろう。

小人プロレスの始まりははっきりしないが、少なくとも1960年代には、女子プロレスの前座として確固たる位置にあった。愛嬌のある風貌と動作、空中を飛ぶような動きの速さから、たちまちファンが増え、一時期女子プロレスに勝る人気だった。そこには、小人レスラーたちの必死の努力もあった。

1980年ごろ、女子プロレスにビューティーペアーが登場する。それまでは小人プロレスや女子プロレスの観客がおじさん、おばさん、子どもたちが中心だったが、その頃から若い女性に変わっていった。腹のそこから笑い転げて楽しんでいた観客、冷めた目で観察しお上品う観客に変化した。小人プロレスを見ないで女子プロレスだけを見る観客も出てきた。

社会に変化があった。競争社会は人々からゆとりを奪い、生きるためには勝ち残らなければならなくなった。与えられた物差しを自分に当てて常に他人と比較し、自分が勝れば安心した。人々は自分だけはいい思いをしたいと願った。

障がいの程度によって、障がい者が障がい者をバカにするようになった。下垂体性小人症は、「私と同じにするな」と言って軟骨異栄養症性小人症を差別した。

その頃、「つくしの会」という小人(こびと症の団体があったけれども、運営に参加するのは親たちだけであった。肝心の当事者は参加したがらなかった

小人は街から消えた。醜いものを街から排除するという国民的浄化運動は完成した。街で見かけるのは、醜くない障がい者だけになった。これこそが「美しい国」である。

醜くない障がい者とは、パラリンピックで活躍するような障がい者たちのことである。

海外では国によって、小人が何の問題もなく街を歩いていたり、仕事に就いて活躍したりしている。テレビにも分け隔てなく登場する。

小人プロレスに反対した人たちは「異常な人間を見世物にするな」と言う。一見、小人に同情的のように見えるが、小人レスラーが「俺たちを見てくれ」と言っているのに、その道を閉ざしていることに気がつかない。

異常であろうがなかろうが、「見てくれ」と言ってくれば、見るのがまっとうな人間の付き合い方である。

「小人を見たくない」というのは差別であり、エゴである。正義というよろいを着て、良識という剣で相手の心を突き刺す。「見たくない」と言われた小人は、「見えるところ現れるな」と言われたも同じで、これほど身勝手で残酷な言葉はない。

現実を見なければ現実がわからない。日本にも小人がいるのだから、その存在を示さなければならない。

子どもが小人を見かければ、寄って行って「どうしてそんなに背が低いの?」と、素直に聞けばよい。そしたら小人は何と答えるだろう、親は黙って聞いていればよい。それが自然なのだ。


自分たちの都合のよいようにこの社会をつくり変えようとする悪漢たちが、メディアに圧力をかけ、内容を歪めて報道する。テレビでやらせが横行し都合に合わせて視聴者の意識を変えていく

無臭で感情のないワンパターンの番組、視聴者の脳味噌を軟化させ、やんわりと真実を見ることを避けさせ、本質を語ることから遠ざけていく。

協調性や寛容、笑顔という言葉が美化され、ものを言う人間は、餌付けされ懐柔される。かつては自由の象徴だったロックと長髪も、牙を抜かれ、見た目だけのライオンになってしまった。

強いものが、甘い言葉とカネで弱いものを取り込んでいく。弱いものたちは、さらに弱いものを踏み台にする。そんなことで、弱いものは小さな自尊心を保とうとするが、やがて自分が踏み台にされ排除されていく

こうして強いものがますます強くなり、弱いものが社会の片隅へと押しやられていった。この本を読めば、そんな日本社会の変化がよくわかる。


N


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Keyword : 小人プロレス 高部雨市 こびと 低身長 パラリンピック 異形 差別 偏見 やまゆり園事件

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