ホームの白線が点字ブロックに化けた謎 ――視覚障害者も安心して電車に乗りたい――
2019年10月1日 午前10時20分頃、京成線の立石駅で白杖の女性がホームから転落、電車にはねられ死亡した。
女性は白杖をつきながらホームを歩いていて誤って転落した。転落後、這い上がろうとしていたところに電車が入ってきた。他の乗客がホーム上の非常ボタンを押したが間に合わなかった。ホームドアも設置されていなかった。
視覚障害者のホームからの転落事故はくり返される。それに対し、線路ぎわに壁を立て乗り降りの際に自動で開閉する「ホームドア」の設置が叫ばれるが、億単位の費用がかかり、首都圏ならいざ知らず、地方の駅ではいつになるかわからない。
視覚障害者は点字ブロックを頼りに歩く。誰も指摘しないが、妙なことに気が付いた。点字ブロックが線路ぎわにあって、視覚障害者にわざわざ危険な場所を歩かせている。これこそが事故多発の原因ではないのか。
JRが国鉄だった時代には点字ブロックではなく、長方形の白いブロックがホームの線路ぎわに埋め込まれていた。
「列車が通過します!危険ですので白線の内側までおさがり下さい」というアナウンスは、当時列車を利用したことがある人なら誰でも聞き覚えがあるだろう。
写真1.JR自治医大駅下りホーム
柱の横の狭いところに通路がある。そんな危険な
箇所に点字ブロックがある。
国鉄が民営化されJRとなったのは1987年だった。JRになってから、「白線の内側まで…」が「黄色の点字ブロックまで…」と変わり、今は「黄色の線まで…」とアナウンスされている。
どういう理由で、白線が点字ブロックに変わったのかは謎だが、視覚障害者の安全のためとは思えない。
謎を感じると憶測が生まれる。
点字ブロックの設置が義務付けられた。点字ブロックは視覚障害者の乗降までカバーしなければならない。補助金が出る。
それなら、もっとも簡単な方法は、線路ぎわの白線を点字ブロックにしてしまうことだ。白線の設置工事や点検も兼ねるのだから一石二鳥だ。
鉄道会社経営者たちはそう考えたのではあるまいか。
視覚障害者は、線路ぎわを通行し、電車が来るまでそこで待っていろと言っているのである。
視覚異常のない人でも、電車が通過したり入線してくるときは、こわくて点字ブロックの上を歩かない。アナウンスでも「点字ブロックから離れろ」と言っている。
体調が悪いときは、ふらつきや立ち眩みがあってもおかしくない。最悪の場合は、ホームから転落したり、電車に接触することも考えられる。
線路ぎわというの問題だけでなく、設置された点字ブロックにも雑なところがあり、ところどころに段差ができる。視覚障害者が、少しの段差でつまずいて転んだり、ブロックのずれのせいで方向を間違えれば、大きな事故に繋がる可能性もある。
長いホームの端っこまで、点字ブロックが設置されているが、視覚障害者がわざわざホームの外れまで行くとは思えない。点字ブロックのルートを白線代わりにするというのは、どう考えても視覚障害者のためではない。点字ブロックがあっても、駅員を待って誘導してもらっている光景をたびたび見かける。
写真2.JR自治医大駅上りホーム階段下
視覚障害者も安心して電車に乗りたいに決まっている。安全のためなら最短距離で電車に乗れるルートがよい。少しの想像力があれば、電車を待つ間は、線路ぎわではなく安全な場所で待ちたい。疲れたらベンチに座りたい。寒い日には待合室で待ちたい、と想像がつく。
そのように考えるなら、エレベーターの近くに待合室を設け、待合室および電車乗降口までのルートに点字ブロックをしっかりと設置するのが当たり前である。設置者は自分で目隠しをして、杖を頼りに歩いてみてはどうだろう。
安全意識の低下も気になる。JRになってからホームから駅員が消えた。無人駅に限ったことではない。
カメラで常時監視しているといっても、カメラには死角があるし、一分一秒を争うときには対処できない。点字ブロックを安心できるものにすることと並んで、ホームには駅員が必要であろう。
このような課題が提起されると、経営陣は常に経営効率と人材不足を言い訳にして逃げる。自らの存在価値は、安全安心な公共交通機関を社会に提供することにこそあるという自覚が、言い訳するときには消える。
経費と人材不足が課題なら、広く訴え意見を求めてはどうだろうか。
振り返れば、国鉄時代には必ずホームに駅員がいた。かつての国鉄マンは乗客の安全を守る仕事に誇りを抱いていた。JRの安全意識向上のために、国鉄退職者を活用するのはどうか。
旧国鉄の先輩たちに、現場で培った経験を次世代に伝え、後継者を育てるために一肌脱いでもらいたい。彼らは給料の多い少ないよりも、誇りを大切にする。
私には元国鉄マンの親戚がいる。「退職してから5年間ほどJRのお手伝いをしたけれど、考え方がずいぶん変化した」と言っていた。
いろいろ気になることばかりだが、視覚障害者が安心して鉄道を利用できるために、何が障壁になっているのか、どうすればよいのかを原点に立ち戻って考えてみた。
当たり前のことだが、福祉担当者や専門家だけでなく、視覚障害者に話を聞いて、何に困るか、どうなればよいかのなどの課題を確認する。
課題がはっきりしたなら、解決のために広く意見を集める。できないことはできない理由を明確にする。
こんな当たり前のことがなされないのは、利権にあずかる巨大勢力が、問題をほじくり返すなといってコミュニケーションを阻むからだ。
「視覚障害者はこのように困っている」といった、都合の良い想定で都合のよい工事が進められる。政治家も学者も、障害者の利便性の名の下に、自分たちの利権の配分に奔走する。それを食いとめるには、当たり前のコミュニケーションを復活させなければならない。
街中で困っている人を見かけたら、声をかけたくなるのが自然だ。日本でも半世紀前までは気軽に声をかけていた。
ところが社会が変化して、「人を見たら泥棒と思え」と言われるようになった。やたらと声をかけると警戒される。だから声をかけずらくなった。平気で声をかけるのは、悪徳セールスばかりになってしまい、声をかけられるのは迷惑だと思うようになってしまった。
それでも、視覚障害者が街にでれば困ることが多い。それに対し、何か手助けしたい人も多い。互いに話し合って、「悪徳セールスではないよ」とわかるような、互いに通じ合う合言葉をつくればよい。
視覚障害者に声をかけるときには、視覚情報がない人に対するそれなりのマナーがある。
近付いて声をかけるとびっくりされる。まず離れた位置から呼びかける。そのとき、「そこのおじさん」と言っても、視覚障害者には誰のことかわからない。「そこの視覚障害者」と呼びかけたなら気分を悪くされる。安心できる声かけ言葉が必要だ。だから合言葉が必要なのだ。
声をかけられたなら、視覚障害者は助けの必要がなくても「ありがとう、でも今日は一人で大丈夫です」と答えるなど、相手の勇気を次につなげる言葉を返してほしい。
これら全て、コミュニケーションの方法である。積み重ねてマニュアルが出来ればよい。くだらない番組の多いテレビは、率先して協力して欲しい。
OG
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