『ドイツの新右翼』 フォルカー・ヴァイス著 長谷川晴生訳☆☆☆★
『ドイツの新右翼』
新泉社 2019年 2800円+税
☆☆☆★
帯を見ると、「ドイツだけでなく、世界中で深刻化する極右台頭の原因を明らかにする」とあり、「ドイツ連邦政治教育センターの2017年優良図書に採用された話題の書」と紹介されている。恐らくドイツではかなり知られた本のようだ。
一般の若い読者には、読む前に言葉の整理が必要と思われる。
政治的な主張や傾向を、「右派」「左派」と分類したり、「右より」「左より」と表現することが多い。起源はどうやらフランス革命後の国民会議にあり、保守派が右側に、急進派が左側に座ったことに由来するらしい。
現在では、人によっていろいろな意味が込められるが、一般的に「右翼」とは、保守的、国粋主義的な意見を主張する人や団体をいい、「左翼」とは社会主義、共産主義的な主張をする人や集団をさす。「右翼」「左翼」の中で、特に急進的な人や集団をそれぞれ「極右」「極左」という。
ソ連邦の崩壊以降、「左翼」の勢いは急速に衰え、「左翼」と言う言葉はほとんど使われなくなった。代わって「右翼」の対立軸に置かれるのは「リベラル派」となった。
「リベラル派」とは、元々「自由主義者」のことであったが、これも時代と共に変化し様々な意味で使われている。一般的には「穏やかな革新派」と理解してよいだろう。
「新右翼」とは、1968年頃に登場した右翼集団をさす。1968年は、既成の秩序に対する若者たちの氾濫が世界中で巻き起こった。その頃に誕生した左翼集団を「新左翼」と呼ぶのに対し、その時期以降に登場した右翼集団を総じて「新右翼」と呼ぶ。
だが、ドイツの新右翼は、その頃誕生したものではない。それを説き明かすのが、まさにこの本である。
「新右翼」の思想のルーツは、第1次大戦後のワイマール時代にまでさかのぼる。この本には哲学や社会学などの学者の名前がたくさん登場するので、右翼思想の専門家なら貴重な参考資料になりそうだが、一般人が読むには若干細かすぎる。しかし、最初からそう構えて読めば、誰が読んでも教えてくれるものは多い。
ドイツ新右翼は、集団としての基本思想にも紆余曲折があった。だから、組織や活動も分裂、融合を繰り返し、それは現在も続く。しかし、一般ドイツ人から見れば、右翼は全般に政治勢力としてマイナーな存在だとみなされ、あまり関心がなかった。
そんな中で、2017年の連邦議会選挙での極右政党「ドイツのための選択肢(AfD)」の大躍進は、リベラル派のドイツ人たちに危機感を抱かせた。にわかに右翼思想への関心がたかまり、この本が注目されるきっかけになったと思われる。
本書はドイツを中心に扱うが、ドイツの新右翼はヨーロッパ各国の新右翼と常に連携しており、記述はヨーロッパ各国に及ぶ。イスラム原理主義や米大統領トランプへの言及もある。
以下、私自身が一般読者として読み取ったことや、感想、意見を述べてみよう。認識のずれや誤解などがあればご指摘いただきたい。
ドイツ新右翼は、基本的には、ドイツの伝統的な価値観、権威主義的な考え方や倫理観にドイツ人としてのアイデンティティーを求め、生活、風俗、家族や社会のあり方などの全てにおいて、それを実現させようとする。
ジェンダーに関しても、伝統的性役割を基調にし、女性の社会進出や同性愛、同姓婚に反対する。
ところが、そうした主張は、大戦後、ドイツやヨーロッパで支配的となった普遍主義、リベラリズム、人道主義などと対立する。だから、当然のように衝突が起こる。
新右翼が主張するのは、ドイツの伝統的価値観といっても、古代にまでさかのぼるのではなく、華やかかりし時代に幻想を抱き、そこから生まれた幻想の価値感だといえる。
だから、神聖ローマ帝国やナチス全盛期など、その時代の最大領土をドイツ人が支配するのは当然だと主張したり、ドイツ文化圏だとみなしたりする。矛盾をごまかすために独自の用語をつくったりもする。
その考え方の底に流れるのは、世界を都合のよいようにとらえ、都合のよいように妄想を抱く思考方式である。それをわかりやすい言葉でいうなら、主観的認知、主観的論理がよいだろう。
移民は自国を侵すものとして排斥する。被支配民族のことは視野にない。強引に他民族を支配しようとすれば必ず抵抗に遭い、紛争に発展してさらなる不幸を招くことになる、ということすら考えられない。
だからもちろんのこと、ヨーロッパの植民地主義時代にアジア、アフリカ、ラテンアメリカの文明を破壊し虐待の限りを尽くした事実を隠し、収奪の結果であるヨーロッパの豊かさだけを美化する。当然のことながら、現代では経済植民地と名を変え、今もなお収奪を続けていることを見ない。
弱肉強食を美化し収奪を肯定するなら矛盾はないが、都合の悪いことには触れない。反省があれば進歩もするが、反省がないから矛盾だらけの理念のままとどまっている。
しっかり考えれば誰でも論理の矛盾に気付くはずなのだが、一定の信奉者が存在し続けるのは、誰かが仕組んでいるとしか思えない。利害が交錯する様々な政治活動団体の間で、暗黙のうちに利害が調整され互いが妥協した産物なのかもしれない。そこには、リベラル派といわれる団体も含まれるのだろう。
新右翼の台頭を許した、左翼やリベラル派の側に問題がないとはいえない。彼らの停滞が新右翼の台頭を許したともいえる。彼らの側にも、新右翼に対抗しうる理論的支柱がなかった。
ヨーロッパ人には近代以降、右翼にも左翼にも、価値観の確立がなく世界的視野で次世代につながるまでの価値体系が出来上がらなかった。共通の価値観として存在したのは虚像の価値観だった。それは、植民地主義時代以降一貫して、西洋物質文明の美化、西洋人による利益追求の擁護を基本とする。
ヨーロッパの白人も米国の白人も、植民地時代の反省なしに、ごまかしの理論を積み重ねてきた。未だにごまかしの理論に依存しており、白人の優位性に幻想を抱き続けている。
新右翼は「白人が築いたものを野蛮人が侵害するのは許せない」として、移民排斥の支持を集めた。それに対し、一貫して「個人の利益擁護」で支持を集めたリベラル派が、今になって移民を受け入れるのは何故かについて、きちんと説明できないのは当然だ。
それは自らを名誉西洋人と思い込む日本人にも共通する。
「水道料金が値上げになるから反対署名に協力してください」「原発は損だから反対」「戦争になったら悲惨だから憲法九条を守れ」と、リベラル派政治活動家が堂々と主張する。
そこにある理念は「個人の利益追求」だけであり、万人のための正義や世界平和は過去の遺物に成り果てた。政治とは、利権の分配でしかなくなった。
その結果、市民が小市民に育てられ、政治が劇場型政治に成り下がってしまった。だからリベラル派も、新右翼に対して論理で対抗することを放棄し、妥協する道を選んだのだと思われる。
新右翼の台頭で見逃してはならないことがある。
それは、かつて左翼活動家たちが得意とした、文化活動によって政治的主導権を握る、という戦術を、新右翼が積極的に取り込んで成功している点である。軽いのりで「右と左とではどっちが好きか」と尋ね、浮動層を右に導いていくといったやり方である。
それをメタ政治というらしく、スターリン時代にイタリア共産党を率いたグラムシの市民的ヘゲモニーの理論からくる。
ドイツに限らず、ヨーロッパの新右翼も米国のトランプも、その手法で躍り出た。新右翼の支持層となる生活に不安を抱く人々に対し、リベラル派はきちんと答を出さなかった。テレビ討論の議論の場でさえ、リベラル派は右派支持者に対して、まともに反論できていない。
その理由は、すでに述べたように、リベラル派にも対抗しうる論理の支柱がなく妥協に走ったからだと考える。支持拡大競争の劇場において、リベラル派は新右翼に完全に敗北したのだ。
この本には、なんとなくもの足りなさ残る。展望が描けないのである。本書のテーマが、新右翼台頭の原因なのだから、新右翼に対抗できるだけの考え方を示してほしかった。
N
- 関連記事
-
- 『ぷかぷかな物語』高崎明著☆☆☆☆★ (2019/08/09)
- なぜ学者が書く本はおもしろくないのか (2019/08/01)
- 『ハンナ・アーレント』 杉浦敏子文 ☆☆☆☆ (2019/07/17)
- 『まなざしが出会う場所へ』――越境する写真家として生きる 渋谷敦志☆☆☆☆ (2019/06/14)
- 『ことばのバリアフリー』あべ・やすし著☆☆☆☆★ (2019/05/31)
- 新版『狭い道』家族と仕事をすること 山尾三省著☆☆★★★ (2019/05/25)
- 『腎臓病と人工透析の現代史』 有吉玲子著 ☆☆☆☆☆★★★ (2019/05/25)
- 『ドイツの新右翼』 フォルカー・ヴァイス著 長谷川晴生訳☆☆☆★ (2019/04/27)
- 『ドイツ革命』 池田浩士著☆☆☆☆ (2019/04/27)
- 『先生、ぼくら、しょうがいじなん?』成沢真介著☆★★★ (2019/04/23)
- 『ビバ!インクルージョン』柴田靖子著☆☆☆☆ (2019/04/23)
- 「100歳時代の新しい介護哲学」編著 久田恵+ 花げし舎 (2019/04/13)
- 『イスラム教』文/安部治夫☆☆☆☆ (2019/04/13)
- 『目の眩んだ者たち国家』キム・エラン他12名著☆☆☆☆ (2019/04/06)
- 『盗んだバイクと壊れたガラス 尾崎豊の歌詞論』 (2019/03/02)
Keyword : ドイツの新右翼 フォルカー・ヴァイス 長谷川晴生 リベラル派 ドイツのための選択肢 AfD メタ政治 物質文明