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  悪人を善人に変える方法

 

 

貧しく善良な庶民にとってはつらいことばかりが続くので、こんな夢の理論を考えた。

悪人を善人に変えることができるなら誰も苦労をしない。犯罪捜査も刑務所もいらなくなり、誰もが安心して暮らせるようになる。悪人は変わらないから、犯罪がくりかえされるし、詐欺事件が後をたたない。

悪人を善人に変えるなんて、そりゃ無理だと誰もが思う。ところが、あるんですよ。こんなことをまじめに研究する人はいないだろうし、主張する人に出会ったこともない。だからここで誰もが納得できるように、わかりやすく説明しよう。

 

まず、悪人とは、どういう人をさすのか。腹黒い人も悪事を犯さない限り悪人とは言わない。つまり、悪人とは悪事を行った人のことであって、内心を問題にはしない。いくら根性が悪くても、破滅思想の持ち主であっても、言動によって周囲に影響を及ぼさない限り悪人とは言えない。

次に、悪事を働く人には必ず目的があるということを確認しておこう。詐欺はうまくカネを得るために人をだます。銀行強盗もカネを得るのが目的だ。選挙における不正は、当選を勝ち取るためだ。

報道では、殺人、暴行、詐欺、データ改ざん、贈収賄などの事件が後を断たない。最近は、やるべきことをやらない不作為犯なるものが出てきたり、「未必の故意」による犯罪まであるから、ややこしい。

不作為犯とは、職務上やるべきことをやらないのだから職務違反であり、自分の利益のために職務放棄を自ら選択し実行したことになる。「未必の故意」とは、悪い結果になるかもしれないと認識しながらも、「起きてもやむを得ない」との気持で行動する心理のことであり、「軽く考えた」ということであって、重大事件でない限り問題にはならない。

目に見える犯行よりも、もっと根が深く社会を蝕んでいるのは、自分自身の問題を、名指しされた犯人や世間のせいにして知らん振りすることである。

企業幹部も校長先生も教育委員会も、深刻なパワハラやいじめ問題を解決する気はない。与えられたお決まりの仕事を無難に仕上げ、無難に任期を終えたいのである。そうすれば、企業や教育に立派に貢献したとして、栄転先や天下りが保証され、老後まで社会から暖かく迎えられる。企業も教育もそのような空気に支配されている。内部事情を知る当事者たちが、問題を解決する気がないのだから、内部からの解決など到底無理である。

それを指導管轄する役所まで、同じように、与えられたお決まりの仕事を無難に仕上げることだけを考えるから、空気は変わらず、その空気に逆らうこともできない。

空気を読み損得勘定で行動する人たちを、悪人と言えるだろうか。

空気を読んで流れに逆らわず生きる人たちの中で、私欲のために不正を働いたり、賄賂を受けたりする人間も出る。そうした犯罪行為がここでいう悪行である。

悪行の目的は大抵がカネであるが、ときには権力欲や出世欲、名誉欲やときには単に注目されたい願望などのこともある。悪行は、欲求を手っ取り早く満たすため、ということになる。それらの欲求は、もちろん例外的な人もいるが、多くの人に共通する。

 

報道では政治家、役人、有名人ばかりが取りざたされるが、庶民がいつも困るのは、悪徳商売やうそつき(小規模詐欺)、交通法規や社会法規を守らない人、商店にとっては万引き、公共の場での些細な迷惑行為などだ。

これら日常的に遭遇する小さな悪事も、規模が小さいだけで構図は同じである。悪事には必ず目的がある。目的のない突発的な行動による迷惑は悪事ではない。

 

ではなぜ、悪事を働く人と、そうしない人がいるのか。つまり、なぜ社会には悪人と善人がいるのか、という疑問だ。

悪人とは、目的となる欲望が強すぎるか、あるいは欲望を抑えられないか、あるいは悪事を自慢するか、それともこれを超えれば悪事になるといった境界線がわからない人たちのことだろう。悪事を働く人とはそういう人たちということになる。

道徳教育が教科になったが、道徳教育の目標は欲望を見直すことにある。カネのために嘘をつくのは恥ずかしいことだ。それよりも善良な人間の方がステキなのだと教え込む。人のため国のために命をなげうって努力する姿は美しいといって賞賛する。

しかし教師も子どもも身が入らない。それは当然で、社会に出て教わったとおりに実行しようとすれば、現実社会について行けずに惨めな人生を送ることになる。反対に要領よく他人をだまして業績を上げる人ばかりが認められ輝いている。

空気を読んで空気に合わせなければ、満足な生活は得られないのだ。それがわかるから、道徳教育なんて、まじめにやってられないし、聞いていられないということになる。

欲望を抑えられない子に対しては、衝動的だとして性格の問題にしたり、発達障害などという病名をつくって病気のせいにして逃げる。かつて日本には、落ち着きのない子や衝動的な子に対する教育があったはずだ。剣道や柔道などは幼少から始め、精神修養を大切にした。剣道、柔道も含め、座禅、茶道、華道など世界に誇るべき日本の伝統的精神文化は、効率優先の欧米一辺倒の空気よって忘れるように仕向けられていると感じる。

 

いずれにせよ、道徳教育で子どもを善人に仕立て上げる方法には効果が期待できそうにない。悪人を善人にするには、悪人の考え方や性格を変える方法には無理がある。

悪人は悪人の美徳を唱えて目的意識的に悪行を働くのではない。欲望を満たすために手っ取り早いし、見つからなければかまわないと社会が容認しているから、悪行を実行するのである。極端にいえば、露見しないようにうまくやれ、と近代社会はむしろ奨励しているのだ。

それは西欧の近代の成り立ちから考えればわかることだ。西欧列国は植民地で悪事の限りをつくして富を収奪してきた。得られた富で、西欧は豊かになった。余裕が生まれ、学問、芸術の花が開いた。人間哲学や社会学がいかに発展しても、植民地での悪事が反省されることはなかった。それどころか、学者たちはカネに対する欲望をとことん美化し、カネを全てのものさしとする経済学をつくり上げた。人間も労働も芸術も全てカネに換算してしまうのだ。

カネを生む仕事や人間こそ価値があって善であり、カネを減らす人間は悪なのだ。やり方はどうでもよい。結果的にカネを生めば善なのだ。

ビジネスでは、客にいいことばかり言ってだまして売りつける悪徳商売やうそつき(小規模詐欺)が当たり前となった。客を脅したりほめたりして、商品を買わせるのがビジネス成功の基本である。ファッション業界もデパートも、学習塾もスポーツジムも、健康食品も医薬品販売もそうやってビジネスが成り立っている。医療ビジネスも介護ビジネスも同じである。

善か悪かはどうでもよいのだ。その西欧発の近代の空気を変えることは、資本主義社会がひっくり返るまでは無理である。

悪人は、空気を読んで要領よく空気に従っている、と考えるなら、悪人を善人に変える方法などあるはずがない。もしあるとすれば、革命しかないということになる。

 

でもそうとは限らない。

思い出してほしい。悪人は欲の深い人でも腹の底で悪事を企む人のことでもない。内面は問題にならず、悪人とは実際に悪事を働き周囲に悪影響を与える人のことである。

教育して価値観を変えるなどは、手間と時間がかかり過ぎて待てない。課題は、目の前にわんさかいる悪人たちにどう対処するかだ。

悪人の価値観は見え透いている。カネ、権力、世間からの注目などに価値を置く。ならば、本人が考えるより、「もっとうまい方法がありますよ」と言ってやれば、すぐに乗ってくる。

「客をだまして儲けるより、客から信頼されて儲けるほうがもっと儲かりますよ」と言ってあげるのだ。悪徳政治家には、「選挙民をだますより、選挙民に信頼されるほうが票が集まるよ」と言ってあげる。立身出世のために裁量権を行使し賄賂をもらうような役人には、「庶民が困っている問題を解決するために努力した方が、庶民の支持を集め、メディアも注目し、ずるい上司も配慮せざるをえなくなりますよ、そうして出世したなら名誉のおまけまでついてきますよ」と言うのである。

これが、悪人を善人に変える方法である。

 

でも、ここにも問題がある。

悪人とされる連中は、人の話を聞かないのだ。いかに損得勘定に長けている人間でも、巷には「あなたがトクする方法がありますよ」といった話であふれている。多くは詐欺なので、うまい話は全て疑うようになってしまい、本当にいい話にも乗ってこない。

悪人が話を聞くのは、権威ある人か、有名人か、あるいは直接の上司くらいである。そういう人たちには信用力があるのだ。

ということは、先に権威者や有名人、企業、団体の幹部たちを変えなければならないことになる。だが、そういう人たちを変えるのは困難だ。なぜなら、そういう人たちこそ、空気を読んで世間に逆らわず要領よく地位を築いてきた人たちだからだ。

発言力のある人というのは、社会の空気に合わせて上り詰めた人なのだから、その社会がおかしいなどと言えば、自分自身を否定することになってしまう。

発言力のある人たちを変えるには、社会の空気を変えるということに落ちつく。

それはどういうことか。関が原を見よ!

「徳川の世になる」と思った大名たちが半数以上になったから、徳川方が勝利した。

 

日本全体で善人方(ぜんにんがた)が過半数になるのは、まだまだ先の話だ。だが、限られた範囲でならすぐにでも可能だ。善人グループが悪人グループより多くなれば、その限られた範囲では空気が変わる。

地域でもよい。会社でもよい。学校でもよい。役所の限られた部署からでもよい。善人グループをつくって、工夫を凝らして空気を変えるのだ。

善人たちが支配する空気をつくれば、みんなが心地よい未来がやって来ると教えるのである。先頭に立ってがんばれば、善人社会が実現したときに業績が評価され、戦国時代の論功行賞と同じように名誉と地位が約束される、と宣伝するのだ。

本来、政治団体や活動団体は、目標を明確にし志が一致した人間の集まりだった。それが、力を十分に発揮できなくなったのは、団体の中によからぬ人間が入り込み、自分の利益のために団体を利用しだしたからであろう。それは近頃の政党を見ればよくわかる。

団体の中に善人グループをつくり結束し、空気を変え、悪人たちを善人に変えていけば、本来の姿に立ち返ることができるのだ。

そうやって、善人支配の限られた支配地が増え、成果を出して行けば、少しずつ支配地が増えて行き、やがて日本全体の空気が変わる。

ご意見をうかがいたい。

 


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