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この本はおすすめ!

 

火と文明の神 迦具土を見よ

 

佐賀純一

新幹社 2011年 2000円+税

 

 

表紙を見ればとてもいかめしく、タイトルまで難解そうなので、なかなか開いてみようと気になれないが、実際に読めば深刻なテーマを取り上げているにもかかわらず、とてもわかりやすく説得力がある。

プロローグから、犬棒かるたの「犬も歩けば棒にあたる」の意味が3つあると出てきて、なるほどとうなづかされ、著者の見識の深さに期待して先を読みたくなる。

迦具土とは、エネルギーをつかさどる神である。文明と悲劇の二つを引き連れてこの世に現れた。現代文明は、迦具土を忘れたから悲劇を繰り返す。

著者は土浦市に開業する医師であり、「世界の作家240人」や「世界が尊敬する日本人100人」にも選ばれたことのある世界的に著名な作家でもある。

 

フクシマ原発事故に深く関わってきた人物の中から、原子力安全保安員の審議官、有名な文学者、テレビ局の幹部、国会議員1,2,3、知識人などが、地獄に連れられ、閻魔(えんま)大王の裁きを受けるといった、庶民にとっては痛快な物語である。

原発事故の本質に関わる議論は、庶民にとってはどことなく閉鎖的なものが多く、難解な論理や屁理屈が多いのだけれど、この本はわかりやすく、それでいて本質まで深く切り込む。

閻魔大王は、地上の隅々までよく観察しており広い見識から裁定にあたる。裁かれる側も、何とか穏便な裁定を得ようと、言い訳をしたり、自分しか知らない当時の事情を説明する。

ごまかして逃げようとする被告人に対しては、どこまでも追い詰め、反省がなければ地獄でも最も過酷な刑に追い込む。罪人は、過去を反省し心を入れ替えなければ地獄においても先がない。

そのやりとりは、決して一方的ではなく公平で、読者はそれぞれの視点からフクシマをみつめなおすことになる。

閻魔大王の気分が乗らないときは、側近の小野篁(おののたかむら)が代理をつとめる。

 

 

この本は事故直後の2011年に出版されたが、7年後に読むと、重大な課題が棚上げにされたまま忘れられていることがよくわかる。そういう意味では今こそ読まれるべき本である。

原発事故直後における国民の重大関心事が、7年後の今では、もはや何事もなかったかのように忘れられるのは、そのように仕組まれるからだと言っているように思える。

 

いくつか例を挙げよう。

 

原発の安全性を確保することは可能か

原発よりも何千倍も精密機器の集合である宇宙ロケットでさえも、1986年と2003年の2度にわたって空中爆発事故を起こした。NASAは時間とカネと人をつぎ込んで事故原因を究明し、以後事故を繰り返さなかった。

原発は宇宙ロケットにならうことができるのか。

保安員審議官は、原発は営利を求める民営だから無理だと答える。

閻魔大王は話を続ける。

宇宙ロケットよりもはるかに精巧で、異常をキャッチし修復する機能まで備えた超精密機器が目の前に存在する。それが生命だ。

生命の機能はいまだ謎だらけで、現代文明が及ぶところではない。

その生命の一つである人間は、間違いばかり起こす。

原子核を分裂させて巨大なエネルギーを生むことができることを発見した科学者が、人々が望んでもいないのに、これが人々を豊かにすると吹聴して原発をつくった。原発は事故を起こし、放射性物質が撒き散らし、生命を脅かしている。

人間は5つある目のうち、その一つの肉眼しか持っていない。それゆえ、人知を超えた存在をみることができない。その無見、無知が高慢と貪欲を増徴させる。人間はこの世の全てを支えているものの存在を知らねばならない。

閻魔大王から教えられた審議官は地上に戻る。しかし、決して開けてはならないお土産の玉手箱を開けてしまう。

 

 

有名な文学者が裁かれたのは不作為の罪である。不作為とはなすべきことを意図的になさないという意味である。

ゲーテの詩「魔法使いの弟子」をあげ、己の役目を忘れて楽をしようとして、なまじっかな知識を使うと災害が起き手の施しようがなくなる。魔法使いの弟子が呪文をかけようとするのを見たなら、やめるようにとめるのか。と問う。

文学者は何としても止めるというが、閻魔大王の裁定は、原発ではそうしなかったというものである。

言い訳を繰り返す文学者に対し、大王は弁明をしっかり聞いたうえで、プロメテウスの話を出して有罪を認めさせようとする。

文学者は、閻魔様は独裁者だとか自分は平和主義者だと叫ぶが、大王は容赦しない。

 

 

この本ではさまざまなテーマが扱われるが、なんといっても読者がはっと気付かされるのは菅降ろし」事件の重大な意味である。

菅直人総理大臣がG8サミットで脱原発を表明するや、「菅降ろし」が始まった。メディアは根拠のない噂をかきたて人格攻撃まで始めた。

ドイツのメルケル首相は、もともと原発を容認する姿勢だった。フクシマ原発事故を知り、原発事故はいつ起きてもおかしくない、こんなものを次世代に残してはならない、として原発からの全面撤退に舵を切った。

ドイツ国民もドイツのメディアもそれに賛同した。イタリアもスイスも脱原発に踏み切った。

それに対し、原発事故を起こし、世界の問題児となった当の日本はどうだったのか。

ほとんどの日本人は、総理を非難する噂や人格攻撃に対し、何の疑問の抱くことなく同調した。知識人といわれる人間も、反原発活動家たちも例外ではなかった。

当時、リベラル派を標榜する人たちの議論に参加すると、首相を庶民の敵だと言わなければ、言論人失格だという空気に支配されていた。

眉唾物のリーダーの条件を引っ張り出して、菅首相にはリーダーの資格がないという主張が展開される。

このときメディアが果たした役割は、一国の首相を、政策論争ではなく噂と人格攻撃で非難する空気をつくりあげ、「菅降ろし」につなげたことにある。

振り返れば、いとも簡単にメディアにコントロールされる日本人の姿と、日本のメディアの本質が明確になった。

菅降ろし」を画策し、メディアを動かした黒幕は誰か。それに協力加担したのは、原発利権に群がる人間たちだということは誰にでもわかることだろう。

 

原発の安全を守る原子力安全保安院が、産業振興の旗振り役である経済産業省傘下の一機関であるのは矛盾するという当たり前の批判に、菅政権は正面から取り組もうとしていた。

菅降ろし」の後になって、保安院をなくして環境省の外局機関として原子力規制委員会を設置したが、やることなすこと、原子力ムラの意向に従順な姿勢に何の変化も見られない。

菅政権では、発電と送電を一手に電力会社が支配しているという異常な状態を改善し、電力自由化の方向に動いていたが、政権が変わると、形だけの発送電分離がなされ、電力会社がマスコミや産業界を支配する構造はそのままである。

事実上経営破綻した東京電力を、解体して新たに再生するという意見は、東京電力の支配システムに依存する銀行、マスコミ、政治家、学者らを含めた原子力ムラによってもみ消され、何事もなかったかのように東電支配システムが温存された。

これらを見るだけでも、電力会社、関連企業、政官、学者、マスコミなどからなる原子力ムラが画策したとおり、「菅降ろし」の後、事故などなかったかのようにものごとが進んだ。

「菅政権では都合が悪い」という決定打は、プルトニウム再利用路線が変更されることだった。プルトニウムは、カネがかかり持っている意味はない。唯一の目的は核武装のためである。

米国はアイゼンハワーが大統領だった時代から、軍産複合体が国家を支配している。核兵器や原発に関わる利権を一手に握る原子力ムラは、軍産複合体の一翼を担っている。

軍産複合体は自己増殖し、政府も大統領も制御できない。自分たちが増殖し続けるためには、他国に戦争をしかけることもする。日本の原子力ムラとは、軍産複合体も同じなのである。

何事も米国をお手本とする日本は、このままでは恐ろしい国になる。

 

版元社長の高さんから聞いた話だけれど、著者は、自衛隊を二分し、一つは災害対策省として防衛軍事から切り離すべきだ、と主張しているそうだ。この本では詳しく述べられていないが、人間の欲望は尽きることなく、歴史は欲のための戦争の繰り返しであった。

地震津波や豪雨による被災者の救助や支援は、人道に基づくものである。原発災害も戦争被害も迦具土の怒りから来ることだが、その被災者の救助や支援は、同じように人道に基づく。

自衛隊の合憲論議や憲法に明文化する論議が展開する中で、防衛軍事と災害対応とがはっきりと分離されれば、自衛隊の役割が曖昧にされたりごっちゃにされることなく、整理された議論が進むことだろう。


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