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この本を埋もれさせてはいけない


原発ジプシー


【増補改訂版】被曝下請け労働者の記録

堀江邦夫

 現代書館2011年 2000円+税

 

 

 初版は30年前に出版され、その後文庫本になり、福島原発事故後2011年に増補改訂版として改めて出版された。写真やイラストが追加され、理解を助けてくれる。

ずいぶん以前に読んだ記憶があるが、フクシマの混乱が未だ続く今、読み直してみると原発の本質的なことがはっきりとわかった。

 

 ジャーナリストである著者自身が、身分を隠して原発労働者として原発にもぐりこんだ。現場は、美浜原発、福島原発、それに敦賀原発と渡り歩き、その1年間にわたる詳細な記録である。

 特に、仲間となった労働者たちの日本の社会における境遇や原発作業従事者としての待遇、地域住民や電力会社は労働者たちをどう見ているか、原発労働の下請けのシステムなどがよくわかるように書かれている。

電力会社社員は特権的立場にあり、めったに現場に現れない。それなのにトイレ、シャワー、通路が社員専用に別にある。被曝するのは末端労働者であり社員は被曝しない。

隠れ取材だから、労働者たちと全く同じ生活をし、同じように被曝する。倦怠感が襲う。血尿が出る。マンホールから落ちて肋骨を折り一時意識不明になるなど、壮絶な体験をする。

下請け企業は、電力会社から発注を切られないために必死になって事故を隠す。マンホールから落ちたのは原発内での事故だが、下請け会社の倉庫での事故とされる。

放射線管理区域から出るときに身体や衣服についた汚染をチェックするためのハンドフットモニターは、アラームが鳴れば汚染を除くまで通過できない。シャワーを浴び石鹸で頭を洗ってもアラームが鳴る場合は、髪の毛を切って丸坊主になる。

そのハンドフットモニターが二つあるところがあった。一方ではアラームが鳴るのに、他方では鳴らずに通過できる。

被曝管理のずさんさはこれにとどまらない。同じ作業中の2つの線量計で値がまるでちがう。線量限度を超えれば仕事にありつけないから、線量計をどこかに隠して作業する。

原発だから、さぞ近代的で厳密に管理されており、わずかなひび割れや亀裂などはすぐさま発見され、即座に補修されて事故につながることなどないだろうと思うかもしれないが、現実は老朽ビルか、あるいは耐用年数をはるかに越えた大型装置のように、次から次へと故障、破綻を繰り返し、点検作業中も事故が頻発している。ボルトを外すと水が吹き出て汚染水を浴びるなどの事故も頻繁に繰り返す。

 「原発ジプシー」という言葉は、実際に原発労働者たちを呼ぶ言葉として、現地や労働者たちの間で使われている。ジプシーとは、もともとヨーロッパにおけるロマの人たちに対する蔑称である。定住しない貧しい流浪の民であり、差別があるから貧しく、生きるために仕事を求めて移動するから定住できない。それでますます差別され、その循環で貧しさから抜け出せない。その言葉は原発労働者の実態を見事に一言で表現する。

 原発は必要だ、いやなくすべきだ、など様々な議論があるが、原発労働者の実態から見る原発の本質とは、貧困ビジネス、戦争ビジネスである。

 貧富の格差を積極的に拡大させることによって、国民の間に貧困者は劣った人間だという差別意識を育て、貧困者が定職に就けないようにする。格差はさらに拡大しこの循環がエスカレートする。

そうなると、貧困者は仕事にありつけない。もし仕事があれば、生きるためにどんな仕事でもする。健康被害が噂されても、生き残るためにはやむをえない。そうして原発労働者ができあがる。

 アフガンやイラクへ送られた米軍兵士はことごとく貧困層である。貧困から抜け出すために大学へ行って職に就きたい。学費の心配はなくなるとして軍隊に志願する。あるいは失業して職にありつけないという人たちが兵士になる。巨大資本の利益のために、貧困者の命が消耗されていく。

 原発は、作業員の被曝なしには稼動できない。原発は被曝を前提にしたビジネスである。戦争と同じように、目的はごまかされ、貧困者の命を犠牲に巨大な利権が動く。

 

 この本では、放射線の単位が旧単位のままである。初版が出版されたのがスリーマイル原発事故直後の1979年であって、その後チェルノブイリの大惨事があって、放射線の単位が変更された。

 なぜ単位が変更されたのか。単位変更は、この上ない不便や弊害を生む。変更の目的や理由については、いずれ別のところで一つの見方を詳しく紹介したい。

 ただ、この本の内容に関することで重要なことを指摘しておきたい。変更後の被曝線量の単位シーベルトとは、外部被曝と内部被曝、自然放射線被曝と作業被曝など、比較できないものを、一律に一緒くたに評価してしまうものである。

被曝は個別に検討されるべきであって、放射線の種類も、線源の化学形態も、被曝の受け方も、被曝者の立場も、一つ一つ、一人一人個別に評価されなければならない。

内部被曝も外部被曝も、ガンマ線被曝もベータ線被曝も、皮膚への被曝も生殖腺への被曝も、大人も子どもも、男性も女性も、住民も原発作業員も、全て一律に評価できるものではない。それを、まるで生命保険の損失査定のように、一律に評価するための単位がシーベルトである。

その目的は、被曝による損失をマネーに換算することであり、損益計算を強引に正当化し、原発ビジネスを効率的に推し進めるためである。さらに、被曝を一律評価することで都合の悪い被曝をなかったことにするためでもある。

単位変更以前も、被曝管理の領域では一律評価の傾向はあったが、変更によって独立した被曝管理システムをつくり出し、放射線医学やライフサイエンスの分野から切り離してしまった。

そのような背景を踏まえて本書を読むと、単位変更の意図がよくわかる。

例えば、現場では個人被曝のモニターはガンマ線のみでベータ線はモニターされていない。

内部被曝を精査するHBC(ホールボディーカウンター)も同じようにガンマ線しか検出されない。もちろん、ガンマ線の核種と量がわかれば、被曝の原因や放射性物質の化学形態、ベータ線、アルファ線による被曝状況なども類推できるはずだが、不都合なデータは常に隠される。

 

2011年版では最終章が書き下ろされ、そこに著者の思いが込められている。著者は「死の淵からようよう舞い戻ってきたばかりで、太い人工血管が全身に埋め込まれている・・・」と述べているから、最悪の健康状態にあるのだろう。30年前の被曝が影響しているのかもしれない。

本書を元に議論を深め、新たな展開を期待したいだけに、著者にはそれがままならない事態が残念でしかたない。

戦場の真実が戦場カメラマンの命がけで撮った写真によって伝えられるように、原発の真実が、ジャーナリストが命をかけて潜入し、一冊の本になって伝えられた。その貴重な本を埋もれさせてはならない。


N

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